研究者・専門家へのインタビュー(有馬朗人先生)
有馬朗人先生へのインタビュー 第2回 (2/2)
JCO事故について
有馬 JCOはね、1999年のちょうど今頃のことだったね。ヨーロッパに出張してくれと総理大臣から命令があって、だから2回目の海外出張が総理大臣の命令で行くわけです。それが何かというと、当時の松浦さん(松浦晃一郎氏)という方が外務省にいて、フランスの大使かなんかをしていた。その松浦さんをユネスコの事務局長にしようというわけです。松浦さんを国連機関の事務局長にするためにお前は一肌脱いでこいと。ヨーロッパの大臣に会って口説いてこいといわれたのです。それでしめたと思ってね。まずフランス、ドイツ、イギリス、フィンランド、それらの国々の大臣と会って、ユネスコへの推薦を申し入れた。結果的には彼がユネスコ事務局長(第8代事務局長)になるんだよ。それはよかったんだけど、私がヨーロッパに行っている間に二つのことが起こった。何が起こったかというと、一つはロケットが飛ばなかったんだよ。それはまだ内之浦(JAXA内之浦宇宙空間観測所)の宇宙航空研究とは別に、科学技術庁系の方に問題があったわけよ。その時に聞いてみると、きちっと最後の調査をしないでやっちゃったみたいなんだよ。それでドイツから指令を出して、もう一度飛ばなかった原因をしっかり調べろと言った。そして帰って来た直後にJCO事故が起こるわけなんだよ。それが9月の30日です。科技庁に事故の第一報が入ったのがちょうどお昼前頃でした。当初の予定では私は10月に文部大臣・科学技術庁長官をクビになるはずだったんだけど、その直前にその事件に遭うんだよ。それでどうしたかというと、当時、大阪大学の工学部で原子力を学んだ岡崎俊雄さんが科学技術庁の次官だった。そのひとが中性子が飛んだらしいと報告してくれた。それで何か見えたのか?と聞いたら「青い光が見えた」と。あ、チェレンコフだと。チェレンコフならニュートロンが出たに決まっていると。「ウラニウムを使ってチェレンコフなら核分裂が起こったにちがいない。」という話を私が納得したのが10時ころ。それで私はどうしたらいいかということを岡崎さんと議論した。私は原子核物理の専門家だからチェレンコフが起こったとかそういうのはすぐにわかる。でも起こったらどうすればいいんだということはぜんぜんわからないわけです。だから日本中の研究者を集めようということになった。原子力安全委員会の委員長をはじめ、原子力の事故に関する専門家を集めろと。
1999年9月30日 茨城県那珂郡東海村の株式会社JCO東海事業所の核燃料加工施設で発生した臨界事故。作業員2名が死亡、1名が重症、計667名の被ばく者を出した。国際原子力事象評価尺度 (INES) レベル4の事故
有馬 そうして東海村に来てもらって、まず午後に国としての緊急委員会を立ちあげて委員長になった。そこにもその人たちに来てもらって、それからその後徹夜で議論をした。そのときにまず言ったのは、自分は事故の専門家ではないから、専門家、特にウラン燃料を取り扱ったりしている専門家を集めろと。そしたら佐藤一男さんとか住田健二さんとか、彼らがものすごく真剣にやってくれて、その中に石川迪夫さんや前原子力規制委員長の田中俊一さんもいた。それで一部は現場に行って一部は東京に残って一生懸命やってくれた。いろいろ議論を重ねた結果、これは水を抜けば良いんだということになった。それで誰が抜きに行くんだというので、それはJCOの技術者が専門家で自分たちでやっているんだからってのでJCOの人たちに行かせて、バケツから水を抜いたのが20時間たったころ。その水を抜いた瞬間に中性子が止まったんだよ。それで私がしみじみ思ったのが専門家を呼ぶということ。そのときに問題だったのは、JCOが騒いでいるときに何が起こるかというと、内閣は内閣で総理大臣が心配しだすんだよ。野中広務さんが当時の官房長官だったんだよ。そもそも緊急対策委員会は科学技術庁の長官が委員長になっていて、インフォメーションが十分に届いていない。パブリックに対しても印象が悪いとか言って、それで総理大臣が委員長の対策委員会を作っちゃったわけだよ。そうするとややこしくて、私がじゃあパブリックへのコメントは任せますねと言ったら「オッケーやるよ。」と言う返事だったのに、千葉県の知事が怒鳴り込みの電話をかけてきて「どうなっているんだ。ぜんぜん情報がないぞ。」と言うわけだよ。内閣総理大臣が官邸でやってくれていると思っていんだけどね・・・。
編集 当時はまだ緊急時の責任体制が明確になっていなかった?
有馬 その事件が終わった後でもう一度原子力災害のときの法律を作りなおせ、というので法律を作ってもらったんだよ。それで今度ははっきり国会で総理大臣が委員長になってやるということを決めたわけだよ。その中に専門家を集めると書いてあるんです。それで、私はその後本来は小渕第一次内閣の大臣が代わるはずだったんだけど、私だけ一月ぐらい延期されるんです。その一月で何をやったかというと、現場に行ってバケツの中まで見て、なるほどこうだったんだなと。それでわかったことは担当者にきちっとした放射線や放射能の教育をしていなかったんだよ。要するにウラニウムの放射能の怖さというのをちゃんと勉強させてなかったんだよ。例えば、技術者の一人は農業高校の出身で放射能・放射線の教育は全く受けていなかったらしい。そういう人たちが水をぱっと入れたから、それで起こってしまった。そういうわけで、やはり教育が大切だということを技術庁に報告を出して私の任務は終わったわけです。さてところが問題は福島の時はどうだったのかということです。
東京電力福島第一原発事故
真鍋 福島事故の直後にですね、情報源がテレビしかなくていったい何をやっているのかとか専門家はちゃんと働いているのかとかまったくわからない状況でした。しかもどんどん状況がひどくなっていくし、どうなっているのか分からなくて。さきほどおっしゃっていた、原子力災害の法律があってしっかり事故に対応できる体制ができていたはずだけれども安全委員たちが現場に集まれないらしいとかいろいろあったらしいんですけど、何か裏事情をご存じですか?
有馬 まさにそこを私は批判的に見ているんです。それはね菅直人さん自身の個人的な問題だけではないと思うんだよ。もちろん菅直人元総理大臣が中心になっていたことだけどね。問題点を言うと、官邸は直ちに原子力安全委員長を官邸に呼んで一応意見は聞いているんだよ。そこまでは正しい。しかし斑目原子力安全委員長が意見の言いようがなかったというか、情報が安全委員会にも伝わっていない。そして斑目さんは後に新聞にそのころの思い出をいろいろ書いていて「あの頃は官邸にいて何も情報がなかった」と。なんで蓄電池を持ち込まないのかと思ったと。
さてそこで私は2つの公的な調査報告書があることに疑問を持った。政府の畑村委員会のと、国会の黒川委員会の調査書と。それらを読むとどうも総理大臣からの諮問があったともなかったともはっきり書いていないんだよ。内閣そのものがどう判断したかとかはほとんど書いていない。事故の後一月ぐらいたってからでしたかね。さっき言った石川迪夫さんとか田中俊一さんとか、そういう連中が私の所にやってきて「なんで俺たちを使ってくれないんだ」と。それでどういうことをやりたかったのか話を聞かせてもらって、2, 3時間討論したのよ。
真鍋 当時専門家たちが10何人集まって緊急声明(福島原発事故についての緊急建言(.pdf))を出しましたけどあれは関わっていらしたんですね。
有馬 それでちょっとしてから声明を出したんだよ。その前後にそもそもそういう不安があるということを4月初め頃に聞いていたから、文科省に電話して「何で大学や原子力研究所の専門家を呼ばないのか」と聞いたら、文部科学省はモノを言うなと言われたんですという返事でした。ようするに文部科学省としての詮索はしようがなかったんです。それで今私は原子力専門家によく言っているんだけど、もう一度きちっと国の対応がどうであったのかを中心にして、斑目委員会が機能しなかったのはなぜかとか、その辺も含めて調査をし直せと言っているんです。
もう一つ、東大に超伝導の研究家がいて、それがJSTの理事長だった北澤宏一さんです。それで北澤さんが民間の調査委員をやっている。「民間事故調」の報告を出したんだけど、あれも岡目八目で誰が何を言ったかとか、どうしたとかそんなことばかり書いているんだよ。肝心の原子力災害に対する法律がどう生きていたかが書かれていないんだよ。
真鍋 その法律にはしっかり専門家を呼んで対策しろと書いてあるんですね?それに従えばもう少しスムーズにいったんですかね。
有馬 もう一つね、新聞で見たところでは、菅さんは東京工業大学出身の技術者であるという自信があって自分で判断したという記録があるのよ。だから菅さんだけを責めるつもりはなくて、当時の官邸の官僚たちがどうしてしっかり動かなかったんだというところですよ。動かなかったのか動いたけれどもダメだったのかね。私はJCOの事故のときに自分が現場に行くことをしなかったんだよ。なぜかというと自分が現場に行くと向こう側が動揺すると。だからそっちには当時の政務次官を送り込んだんだよ。要するに政治家としては大臣が二人いて片方は東京にいて片方は現場に行くということにしたんですよ。なぜそういう知恵が全く使われなかったのかと。
真鍋 NHKのドキュメンタリーを見ると一応東電が主体でしたけど官邸にも声をかけていた。官邸の後ろには専門家というのはいなかったんですか?
有馬 いなかったと思われるのです。というか、斑目委員長たちには情報が与えられなかった。防ぐ方法を進言しても聞いてもらえなかったのではないでしょうか。
澤田 よく言われているのは、官邸と東電にはホットラインがあったと言われていますよね。でも官邸はじゃあ独自にやっていたということですか?
有馬 だからその辺が不明です。なぜ専門家を集めなかったんですかというと、お呼びじゃなかったということですよ。それで一つ気がかりなことは、事故当時原子力に対する行政というのは完全に官邸と経済産業省に移っていたということがある。経済産業省としては技術的な問題というよりむしろ経済的な問題に中心があるから、動き方が専門家ではなく世論的なことに左右される傾向があったんだと思うんですよ。これは無理ないよね。
真鍋 実は私は当時は就職していまして、阪大の原子力講座にいたんですけど、みんな何をしていたかというと情報がないのでみんなテレビを見ていただけなんですよ。特に何の連絡もないから動けないみたいでしたね。
有馬 その点を私は非常に心配していて、原子力だけじゃなくて将来国として大きな災害があったときに、今度の関西の大雨だってもっと専門家を早く召集してこういうダムが危ないとかやるべきだよね。それを終わってからみんなで騒いでいるわけだよ。だから一個人、菅直人さんを責めてもだめだよと。それ以上にスリーマイル島の事故なんかの研究をよくやっていた、石川迪夫さんとか安全委員会の佐藤一男さん、住田健二さんとか、ベテランがいるわけじゃない。なんでそのベテランを呼ばないのかと。当時のベテランに聞いてごらんよ、だれも声がかかっていないんです。それでそれを今やらなければいけないと思うんです。一度しっかりと相談がなかったのかから出発して、きちっと考えるべきです。官邸の振る舞いに対する批判も含めてやっておくべきですね。これは何も菅さんだけじゃなくて、当時責任があった人たちも含めてね。
それからもう一つは、少し後に世間に登場した研究者の問題がある。1ミリシーベルトだとテレビ画面の前で泣いた専門家がいたわけだ。被ばく量の基準値が何mシーベルトとかいうのも20ミリシーベルトにしちゃうでしょ。20ミリシーベルトというのはウクライナの方では失敗したのにやったんだよ。ウクライナに行って話すと、「何で日本が20ミリシーベルトにしたんですか?」と聞かれるんだよ。そうすると一緒に行った日本人連中がみんな「ウクライナのせいだ。」と言うわけだよ、チェルノブイリのせいだと。そうすると彼らは「ちゃんと日本には言ったんだよ、20ミリシーベルトにしたのは失敗だったと。」ってね。なんでウクライナが20ミリシーベルトにしたのか尋ねたら、実は元々は50ミリシーベルトだったんだっていう。ところが要するにちょうどソビエト連邦が解体して本当の意味で独立することになって、それまではソ連からいろいろ補償をもらってきたけどいよいよソビエトから独立するから、以降は補償金がなかなかとれなくなるから20ミリシーベルトだと言って補償金を増やしてもらったんだと言うんだね。つまり、20ミリシーベルトのように厳しくしたのは、ソ連からの独立のためだったんだと。ところがその結果、独立してから被害者の補償金で大変だったと。
編集 JCOの事故のときはどうだったのか?
有馬 私の場合、JCOのときに幸運だったのは岡崎さんという次官がいて、彼は自分が専門家だということもあるし、公正な判断をくれたのでJCOはすぐに終わったのです。JCOが解決して2,3日して天皇陛下の方から来てくれと言われた。何でかというと天皇皇后がそちら方面へご旅行になる予定なのだが大丈夫だろうかと。それで15分の予定で話に行ったら、天皇陛下はすごく好奇心の強い方だから結局1時間話をして、ニュートロンの影響も皆さんが思っているほど残るモノではないとお話申し上げたのです。
要するにやはりほんとうに行政がそういうときにどう動くべきかということはしっかりしないとね。斑目さんも他にも言いたいことがたくさんあったはずなんだよ。だからそれも研究者として公平に聞いて将来ああいうことがあれば総理大臣の周りに直ちに顧問団のようなモノを作るとか、法律も変えるべきだと私は思っているんだよ。簡単な法律の中に内閣は専門家を集めることと書いてある。でもそれでは原子力安全委員会をただ集めれば良いことになるんだよ。それをもっと実効性があるような形で働かせよとは書いてないんだよ。
JCO事件の後、当時の科学技術庁、その長官として私などに対する批判が大変強かったのです。そして「JCO臨界事故と日本の原子力行政・安全政策への提言」というような本が10冊以上も出版されました。これに反してそれよりずっと深刻な福島第一の事故に対する総理大臣始めさまざまな官僚や行政機関などの行動について新聞社や民間、そして研究者たちの調査や批判書がどうして出版されないのでしょうか。
澤田 伺っていると岡崎さんというのは官僚で、人の動かし方を分かっているんですよね。ところが斑目さんは一応呼ばれても学者だからよく分からなかったんじゃないですかね。
有馬 JCO事故の時は岡崎さんが「大臣あんたはここにいてくれ」と言ったんだよ。それでね、福島第一原発事故の時は総理大臣が動いたのも悪かったと思うんだよね。そういう意味で一個人をどうのこうのと言いたくないけど、菅さんはむしろ行政官や専門家がしっかり動けるようにしてやるべきだったんだよね。彼が反原子力だとかそれ以前の問題でね。彼は自動点数計算器という特許をとったんだよ。だから原子力は菅さん自身の専門じゃないんだけど、技術を学んだのは確かだからね。
澤田 それで私は一応原子力工学科に務めているんですけど、あの事故以降すっかり優秀な人材が来なくなってしまっています。私は実は学振で原子力の未来技術という委員会(「未来の原子力技術」に関する先導的研究開発委員会)をやっているんですが、要するに将来的に夢のあるプロジェクトがなんにもないんですよ。
有馬 私はもう一度原子力研究所、すなわち原子力研究機構に行って話をすることになっているんだけれどね。私が言っていることはね、第4世代の原子力研究を復興することは大切なことだと、第3世代の原子炉を仮に全部動かしたとして、予定通り今度のエネルギー計画が上手くいくかというと、現在の原子炉は20年経ったらダメになるよと。沸騰水型軽水炉(BWR)はもうすこし新しいのがあるけどね。これから60年の使用が許されるようになっても、せいぜいこれから20年だよと。そのときに2050年に原子力が20%動かすなんてできるのかと。要するに新しいものを造らなければいけないと言っているのです。でも造るとなると最低でも10年はかかるよね。そういう意味では第3世代のモダンバージョンBWR(いわゆるABWR)も含めて、より積極的に動かせるようにしておきなさいと。でも私は上手くいかないと思う。なぜならプルトニウムが出てしまうから。すでに四十数トンあるわけで、どうするんだと。そのためにはもんじゅ型のブリーダーリアクター(増殖炉)をやるとかしなければいけません。だから私は〝もんじゅ〟を再開しろと言っているんだよ。それを今〝もんじゅ〟じゃなくてもう一つ前の実験炉『常陽』を動かすとか言っているんだろ。そんな馬鹿な話はない。〝もんじゅ〟を動かせと私は言っています。現在フランスと組んでアストリッド(ASTRID、高速中性子で核分裂を起こす液体ナトリウム冷却炉)を作ると計画しているけれど、ちっとも進んでいません。
日本原子力研究開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)
真鍋 〝もんじゅ〟の廃炉も何かこうある日突然降ってきたような話で、なぜこうなったのか私たちには理解できません。
有馬 私は半年間もんじゅ検討委員会をやらされて、私はその時に〝もんじゅ〟を再開しろと言ったんですよ。ところが〝もんじゅ〟を残せという結論を文科大臣に言ったにも関わらず、政府の方が総理大臣、経済産業大臣、環境大臣、文科大臣など何人かの委員会で、経済産業省のほうから絶対潰せという意見が出て潰すことになってしまいました。
澤田 経産省は文科省が大嫌いなんですよ。特に旧科技庁から接合された部分が。〝もんじゅ〟はその一つの象徴ですから。それで今だって文科省の旧科技庁部分は潰されかかってるじゃないですか。
有馬 それでもう少しハッキリ言うと、安倍総理に官僚が付いているよね。アドバイザーの格好でね。それはだいたい中心の官僚は経済産業省から行くわけよ。経済産業省系の人たちが〝もんじゅ〟を残すなと言うんですよ。そのために今の総理大臣は〝もんじゅ〟を潰す方向に動いちゃったわけだよ。だけどその前に経済産業省がとにかく潰すと言っていてね。文科省としては〝もんじゅ〟を残しておけと私は強く言ったんだよ。何でかというとフランスの実験炉スーパーフェニックスが動いてないしさ、そうすると西側でちゃんと高速中性子をやっているのは日本しかいないんだから、日本は西側の研究機関の代表としてブリーダー(増殖炉)の研究を〝もんじゅ〟でやれと、私はそう言ったんです。ところが困ったことに、文科省ではその前後に今度は天下り問題がおこっちゃったんだよ。それでガタッと弱くなってしまって、文科省のなかでも天下り問題というのはどっちかというと文部省系だから旧科学技術庁系は頑張れと言っているんですが。
もうそれで文部科学省はがたがたなんだよ。文部科学省に対して高等教育費を増やせという運動をすることが一つと、基礎科学基礎技術の研究はあくまでも大学や原子力研究所などの研究所がしっかりやるべきモノであると主張すべきです。そういう意味で科学技術政策において応用の一歩手前までは文部科学省の指揮下でもっとしっかりやれよと。そして特にボトムアップが大切だと言っているのです。原子力に関するボトムアップで私がこの頃言っているのは、一つはトリウム溶融塩炉です。以前私は中国の江沢民の息子の江綿恒に言ったんだよ、溶融塩炉をやれと。そしたら江沢民の息子が「やります」って言って上海(上海応用物理研究所)で始めました。江沢民の息子はもう辞めましたけど、中国科学院の副院長でものすごく力のあるひとで、上海担当の副院長だったんです。そう中国に言った理由はこうです。中国ではウランが出ない。しかしレアメタルをさんざん作っている。レアメタルを作ると必ずトリウムがでるから中国はトリウムをたくさん持っているんだよ。それを燃やせばいいじゃないかと。彼はアメリカの大学で教育をう受けています。中国というのは賢くて喧嘩しながらもアメリカに行くんだよ。この頃はヨーロッパとアメリカだよ。圧倒的に中国国内を支配しているのはアメリカやヨーロッパで学んだ人たちでした。だからトリウム型の原子炉、すなわち溶融塩炉をやろうといったときにただちにアメリカと組んだわけだよ。もともとアメリカでは1968年に完成したんだよ。辞めたのは誰も表向きの理由は言わないけど、ブリーダーをやるかトリウムをやるかと言ったときにブリーダーにした理由は、プルトニウムができるかどうかですよ。ブリーダーはできる、トリウムはできない。トリウムで出るウラニウム233はすぐに消えてしまうから原子爆弾にならないんですよ。
澤田 水をさすようで申し訳ありません。ウラン233で原子爆弾は作っています。それで爆破は確認しています。ウラン232という随伴する核種がものすごく強いγ線をだすので扱いづらいんです。
有馬 そうですか。公には何もいっていないけど、そういう理由で辞めちゃったんです。ところがこの5、6年でアメリカでも復活してきているんです。しかも溶融塩炉をアメリカのどっかのベンチャーキャピタルがそれを作って売り出しているよ。しかもそれをねインドネシアかなんかに売ろうとしているんだよ。だからかなり現実的にトリウム炉が動き出していると。というわけで日本はどうするんだと、日本は溶融塩炉を始めたのは早いほうなんですよ。だから日本でも特許をたくさん持っているわけだよ。そういうものをもっと日本でも開発せよというのです。それからせっかく高温ガス炉(※1)は日本でも成功しているんだから高温ガス炉をもっと作れと。東京都庁の上にでも高温ガス炉を置いて、東京に務める役人の車の水素は全部そこで製造するとかさ。要するに高温ガス炉は小さいからね。だからどこにあっても安全性が高いしね。要するに電気で動く車を作るのに水素が一番有効だと思うから、そういう技術を進めて高速ガス炉をもっと開発しろと。それからもう一つはスケールメリットがあるので100万キロワット以上の出力が出る炉は儲かるが10万キロとか小さなところは経済性がないということになっているけど、安全性の上では潜水艦に乗るくらい安全なんだから、安い小型炉を作れと言っていたら今度の計画の中には小型原子炉とか溶融塩炉とかそれから高温ガス炉もちゃんと書いてあるんです。それで私はただただ書いたってダメだと言うんです。こういうのがあるという可能性しか書いていないから、やれって言うんだよ。だから例えば溶融塩炉とかにかつて一時期興味を持っていた東工大とかがやれと。要するにああいう小型炉をいかに安く作るかとか、もっと工夫してパワーの高いモノはできないかとか、水を使わない原子炉はあるかとか。
それから加速器駆動型の原子炉システム(ADS)でもって使用済み核燃料を燃やすという計画があったけど、中国に詹文竜さんという中国科学院の副院長がいて、それが永宮君(※2)という原子核物理をやっているひとのお弟子さんなんだよ。それが私は親しくて、その副院長に加速器を使ってやれって言ったら中国は猛然と始めているんだよ。日本はぜんぜんやってくれないんだよ。
それで中国は実に頭が良くて、昨日も中国の科学技術省にあたる科学技術部の部長が来て東大で話をしたけど、中国科学技術部が原子力推進をどんどんやると、今の第3世代をね。それで将来計画は中国科学院がやるんだよ。そうすると中国科学院の役割をするのが日本でいえば文部科学省のはずなんだよ。ところが文部科学省の科学技術の部分が非常に弱くなっているんだよ今は。中国は科学技術部と科学院の2つが時には競争し、時には協力しながら非常に上手くやっているんです。基礎の方は科学院がやっていて技術の応用のほうは科学技術部がやっている。中国科学技術部はアメリカとあんまり仲良くくっつけないんだけど、科学院は平気なんだよ。それでしかもドイツは中国科学院にばんとお金を出すしね。だから中国の科学技術の伸び方は凄いんだよ。
※1 高温ガス炉 高温ガス炉は高温を利用し水を分解して水素を作るのに適している。
※2 永宮君 本サイトでもインタビューを行った永宮正治氏 永宮先生のインタビューページはこちら
澤田 そうすると大学院重点化ですが、修士は増えたかもしれないが博士の学生の数はあまり伸びていない。結果的に論文数も減る。そう言う問題はメディアでも取り上げられていることがあります。僕はそれはそれほど問題じゃなくて、学費はバカにならないので、まだ就職しやすい修士で社会に出て行く学生が多い。もっと企業が普通に博士号取得者を受け入れる文化があればぜんぜん困らないはずなんだけど、なかなかそうならないんですよね。
有馬 それでドイツを見てごらんよ。ドイツの製薬会社の中心に、日本で言えば大塚製薬とかの製薬会社に、博士がどさっといるわけだよ、それから外交官、要するにヨーロッパやアメリカは博士を取っている外交官がたくさんいるんだよ。そういう博士号というのはドライバーズライセンスなんだよ。それを持っていれば行政だってある一定の地位になれるよっていう、産業界では製薬会社にせよ、物作りの日立にせよ、博士号ぐらい持たせろと。それが私の大学院の最初の目標だったんです。
真鍋 それはそうなんですけど、実際博士号を取っても企業からは博士はお断りと断られましたね。
有馬 日本は博士号にうさんくささを感じるんでしょうね。ただのドライバーズライセンスだって思えば良いのに。だから問題は企業にもあって、もっと生産業なんて特に必ず博士を何%は持っているとかにすればよい。それから政治家にしてもぞろぞろ博士がいるんだよ外国は、ところが日本はほとんどいない。
澤田 そうするとゆとり教育なんかも、有馬先生がおっしゃっていたように経済と関連づけるとか、微分積分を入れるとか、そういう方向に行けば本来のゆとりだったのが、実際にはそういうふうには行われなかったんですよね。
有馬 それでね、どういうことが起こったかというと、買い物に行ってどういうふうに買い物をするかとかいう勉強をするようになったんです。それもいいけどさ、ともかくやっぱりもっと博士なんかを単に偉い偉いと言うんじゃなくてもっと使えよと言っているのです。
古徳 そうすると大学で博士を育てるとなると、僕が今興味があるのは、どういうふうに強力な研究室を作って発展させていくのかという所なんです。
有馬 そこはやはり教育費だよ。研究費はずい分増えたが、近年科研費も伸び方が減ったし、研究費全体について日本の伸び方が一番低いから、それも改善しなければいけないけど、やっぱり教育費、特に高等教育の公的財政支出を増やさないといけないのです。
古徳 諸外国がそんなに伸びているのになぜ日本だけ伸びないんですか?なにメカニズムがあるんですか?
有馬 なぜかというと、私が東大総長から今日に至るまでに一番やりやすかったのは理化学研究所時代だよ。そのころは田中元総理の長女の田中眞紀子さんやら、尾身幸次さんにしても加藤紘一さんにしても、要するに科学事業に興味を持ち、それから森元総理みたいに教育に熱心な方が結構いたんだよね。要するに私が頼みに行くと一生懸命動いてくれた政治家がいたんだよ。今はいないんだよ。なんで教育費用をあげろとか研究費をあげろというスローガンを挙げて動く政治家がいないのかというと票にならないんだよね。それで票になるのは奨学金とか生活保護するとかになるのです。それで私が「消費税を上げてその一部を目的税にして教育に使え」といったら、「それでやります」というから何やるんだと言ったら、要するに大学無償化だとね。それはそうだけど、それを大学にやらせれば良いわけだよね。
澤田 そうしますと、僕らとしては政治家がやってくれないなら、産学連携するか、あるいは最近ちょっと話がでてきて、きなくさいという人もいるんですけど。軍事研究の是非というのは防衛省がお金を出してきていて、それはどう思いますか?
有馬 私は産学連携はやれと言っている。また昔話になってしまうけど、1988年頃に寄付講座を導入すべし、産学協同すべしと言ったんだよ。そうしたら立て看板が立ってさ、経済界に精神を売るな絶対反対と。特に経済学部の評議員の一人が強く反対した。でも強引に産学協同を導入せよと私は主張したのです。でも法人化したことの良さは産学協同を堂々とやらざるを得なくなったのよ。それで昔は産業界の名前で研究所を作るなんて絶対できなかったのよ。それができるようになった。しかし、人事に至るまで教授を誰にする研究者を誰にするかあたりになると未だに一緒にやれなかった。だけど東大では日立と一緒に研究をやって、その上日立が好ましいと考えるひとを教授にしてくれと言えばそのひとが教授になれるところまで踏み込むことができるようになったね。法人化の良いこともあってね。これは結構なことでね。健全な産学協同をやるべきだと私は思う。しかし産学協同の問題は、産業界が中心になるから、利益になることで不正な事をされたら困る。そこは気を付けなさいと言っています。だけど産学協同そのものは悪いモノではないから積極的にやりなさいと応援しています。
真鍋 少し疑問なのは産学協同はできるところは良いですが、医学部も物理も産学連携ができなくなる、私工学部に就職してわかったんですけど、医学物理を出てる人の基礎力は工学部より結構上なんですよ。だから上手く世の中とマッチしていないなと思うんですけど、基礎はどうやって生き残れば良いんですかね。
有馬 基礎研究をどうやって産学連携するのかで一番良い例はAIだよね。AIとかかつては計算機のプログラミングとかね、研究者の気持ちがずいぶん産業界に入っていった。だから今でも一番産業界がやりたくてもやれないのはAIだよね。それから原子力もそうだよね。原子力も日立とか三菱が強くても、それこそ溶融塩炉とか高温ガス炉とかはやらないよね。これは研究者がやってやらないといけない。しかも彼らも興味がないわけじゃないから、ある時期からは産学連携で推進すべきです。
澤田 良質な研究をするための有馬先生なりのなにかありますか?
有馬 競争原理というのは大切だよね。科研費とか取るための競争があるよね。そのときにもちろん科研費をたくさん取れればいいんだけど、しかしその時に論文の数が多ければいいとかにしすぎてしまうと、どうでもいい論文をたくさん書いてくるということが起こってしまいます。そういうデメリットもあるから、やはり目利きがいて研究費をどんどん良い研究者に出してくれるようになれば良いと思う。今はトータルの予算にあまり余裕がないから競争競争になるんだよね。しかもトップダウン的なのが強すぎるよね。この頃の総合科学技術イノベーション会議は、国のトップダウン的イノベーションが中心なんだよね。国がやれと言うことばかりやるんだよね。イノベーションというのは本来ボトムアップでやるべきなんだと私は考えています。だから各研究者が本当に面白いと思ったことをやれるようにしてやるべきですよ。
一昨日も東海村で質問がでたけど、「原子力なら原子力という国からの至上命令があるじゃないか。それはどうするんだ。」という質問です。「それはそれでいい。」と応えました。原子力をやれという至上命令はあるけど、その中で自分はこういうふうにやればいいと思うというような個人のボトムアップ的な研究の仕方もあるだろうしテーマの提出もあると思います。もっと個人が自分の着想でこうやりたいということを伸ばせるようにしてやりなさいと。だから指導者は、個人がやりたいボトムアップ的なことと指導者がやりたいというトップダウン的なことをマッチするようにせよというわけです。特にボトムアップを拾ってやれと。
真鍋 要するに研究室をやりますって言うので企業からお金をいっぱい取ってきて、やり方としては助教、ポスドク、学生にやらせて、基本的にはもう選択の余地がないような。
有馬 やっぱり選択の余地をどこかにいれてやったらいいんだよ。
真鍋 でも運営費交付金がもうないんで自由にやれということができないんですよね。
有馬 それが一番問題なんだよ。だから私は前提としてお金がないとダメだよと言ったんだよ。お金がないとしょうがないから論文の多い所で出すとかになるんですよ。そうすると研究者も論文をたくさん書かないといけないからと言ってみんなに無理矢理書かせたりする。そうなるとだめなんで、そのためにはある程度潤沢なお金を出すようにしていかないといけないんだよ。
やはり心に余裕があることが本来のゆとりですよ。若い人をなんとか育てていかないといけない。本当の意味でのイノベーションがどんどん出てくるようにしたい。
澤田 軍事研究に関してはどうでしょうか。今は防衛省がきちんとお金を出し始めているので。
有馬 軍事研究で一般敵に応用できるのはどういうものかと考えたら良い。例えば原子力の研究だってもともと完全に軍事研究だったし、でもそれが原子爆弾つくってしまって広島や長崎の人を大勢殺したことは大失敗だけど、原子力の平和利用というのは非常に大切な役割を担っていますからね。やはり軍事研究というものが持っているものでみんながすぐに思うのは、それを戦力として使うと言うことですよね。でも戦力ではなくて、人類の福祉になるよう社会に貢献するような部分があるわけだよね。例えば災害防止とかね。だから防衛省から金がでるからすべてダメだと判断せず、防衛省の金でも民間に福祉に役立つ研究が必ずあるから、その部分は協力してもいいんじゃないのかな?それと、研究成果の公開原則を守るべきです。
澤田 では次回は9月3日です。今日はありがとうございました。
(第3回に続く)
対談日:2018/8/24
対談場所:武蔵学園大学
インタビュアー:和田 隆宏、澤田 哲生、古徳 純一、真鍋 勇一郎、坂東 昌子
音声書き起こし:澤田 哲生、角山 雄一