研究者・専門家へのインタビュー(永宮先生)
永宮正治先生へのインタビュー 1/6
永宮正治先生 プロフィール
専門: 物理学(素粒子・原子核・宇宙線・宇宙物理)高エネルギー加速器研究機構名誉教授、理化学研究所研究顧問
米国コロンビア大学物理学科学科長、東京大学原子核研究所教授、高エネルギー加速器研究機構大強度陽子加速器計画推進部部長、J-PARCセンターセンター長(初代)などを歴任
1944年生まれ
序 放射線治療とのかかわり
坂東(以下「b」):先生の科学に書かれたものを読ませていただいて、昔先生に物理学会で医学物理誌の方面に行った時に、お話をお願いしたら、すぐに引き受けて下さり、ご経験があったんだということを思い出しました。またバークレー研究所(米国Lawrence Berkeley National Laboratory、LBLまたはLBNL)の話を聞いて物理の人はあちこちでいろんなことをやっているんだなと再認識しました。今度改めて先生のものを読ませていただいて、放射線の医療に関する利用に関してほとんどオーバーオールにカバーして書いておられて驚き、改めて自分もやりだして、読んでいてワクワクして面白かったです。
永宮(以下「n」):どうもありがとうございます。。
b:放射線医療で重イオン散乱断面積にはブラグピークというものがあって、照射を始めたところやその途中よりも、もう少し遠いところで1番反応が多く起きるということはよく聞いていました。だから、体内のがんに照射してがんをたたくことに適しているということでした。でも、どうして、途中よりもがん細胞によく当たるのかということは、単に「ブラッグピーク」がそのあたりにある、つまり、生体のなかでどうして、放射線の反応がガン細胞のあたりで大きくなるのか、どういう理由なのかを今まで知りませんでした。先生の解説を読んで、がんというものが正常細胞に比べて比重が大きいということも重要なのだとわかりました。きちんと、数値も入れて説明しておられ、なるほど、密度が高いところで反応度が大きくなると納得できて、すごく感激しました。
先生と放射線医療とのお付き合いとかどこから始まったのでしょうか。
n:私は、昔ドクターの時代に、ポロニウムの磁気能率を計っていたことがあります。ポロニウムは鉛208という二重魔法数の安定な原子核に2つ陽子がくっついたものです。これはドクター論文になって、当時の指導教官の山崎先生の有名なお仕事にもなりました。
b:ポロニウムの磁気能率を計るというのは難しいのですか?
n:そうですね難しいといえば難しいですね。先ほども言いましたように超安定な鉛208に2つの陽子がくっついたものがポロニウムです。磁気能率も重要でしたが、その原子核のエネルギー構造も興味を持たれていました。それを一度きちっと決めておかなければいけないということで、ビスマスをターゲットにしてアスタチンというものを作りました。
b:アスタチンというような名前の原子核があることは、あまり知っている人はいないですね。これは、ビスマスというものを標的にしてポロニウムを当てるのですか?
n:ビスマスというものをターゲットにして加速したアルファ線を照射してアスタチンというアイソトープを作るんです。アスタチンはα崩壊を起こしますが、β崩壊もありまして、β崩壊をした先がポロニウムなんです。
b:あ、そうですか。なるほど、とにかく、ビスマスが一度アスタチンという原子核に変身して、それからポロニウムになるのですね。さらに、このアスタチンはα崩壊もするんですね。
n:そうです。こうして、このプロセスを使って、ポロニウムのレベルを決めたんですね。それは、予想していたのと少し違って面白かったんです。一方、このアスタチンは、8時間ぐらいでアルファ線を出して崩壊するのですが、このアルファ線はあまり遠くには飛ばないのです。大体数10ミクロンで止まってします。こんなことは、昔はあまり注目されなかったのですが、福島の事故以来、放射線を解説する記事が沢山出て、ガンマ線や電子線(β線)に比べてアルファ線は近くで止まってしまうということを知っている人は増えましたね。
そうすると、癌のあるところに、うまく注射するなり飲んで入れれば、痛みなく癌の治療ができるのではないかと思いつき、論文を作ったんです。それを、どうして発表したらいいかを、僕の同級生の伊藤君と言う人に相談すると「放射線学会に入らないといけない」と言いました。学会に入らないと論文の投稿ができないのです。それで、放射線学会の手続きを始めたのです。
(崩壊により放出されるアルファ線の飛程は非常に短いのでガン治療の飲み薬となる可能性を秘めていた。)
b:へえー。学会に入らないと論文を出せないのですか?
n:そんなことを言われました。手続きを始めたのですが、実は仁科財団からバークレーへの派遣が決定したという通知がきました。
バークレーの経験
b:ということは、とても若い時代にすでに医療面への応用を考えておられたのですね?
n:そうですね。そのころから、医療への応用については、非常に興味をもっていました。ここまでが最初の動機です。
バークレーに着いて、僕はある場所で研究をしていたのですが、同じベバラック加速器にお医者さんのコースがありました。すでに、バークレーにはローレンスの作った184インチサイクロトロンがあってそこで医学的治療が始まっていたのですが、それをその後、ベバラックというところに移して治療や実験が始まったのです。重イオン照射の草分けです。トバイアスという先生がいて、彼はジョン・ローレンスという当時放射線医療をやっていた先生のお弟子さんですが、その方の話を聞いていると、色々と面白いことをやっているんですよ。僕は、大変興味を持ちました。
(中央下の円形の建物内に60億eVの陽子シンクロトロン「ベバトロン」が設置されていた。)
b:そこで先生の好奇心がいろいろなところに働いたということですね?
n:実はその頃は、お医者さんは昼間の休みの時間にしか実験ができなかったわけです。僕らは夜かウィークエンドに使うわけなので、昼間は空いているわけです。
(右から2番目が永宮先生)
b:私は昔、「我らの時代に起こったことー原爆開発と12人の科学者」(J.ウイルソン著、中村清太郎・奥地幹雄訳 岩波現代新書502)をよんで、ローレンスがあれを作るのに苦労したと。何を苦労したかというと、その頃ポスドクが多かったんでね。物理みたいな基礎科学はすぐに役立つわけではない、そんな分野にお金が回らなかった時代でした。アメリカの物理のドクター達は職もないし、なかなか基礎科学にはお金が出ない時代でした。それで、ローレンスは、医療の利用があると宣伝して作ってもらったという話を聞きました。
n:それも正しいと思いますが、もともと加速器というのは人工的にアイソトープを作るために開発されたわけですね。ラザフォードの時代から、自然に存在するものではなくて人工的に作ったものがどういうものがあるかを調べる目標があり、そのために加速器を作ったのです。そのため、アイソトープ生産というのが一番の目的だったのです。しかし、それ以外にも、何かないかということを、有名なアーネスト・ローレンス自身が弟のジョン・ローレンスと相談したら、ジョン・ローレンスが医学に使えと言って、それで医学を視野に入れたというわけです。それを始めたのが、バークレー研究所でした、医療への本格的応用の最初だと言われています。粒子線を使った医学との関係というのはバークレーが始まりだったんでしょう。
b:最初はX線とかガンマ線とかだと思っていたのですが、当初から粒子線というのも考えられていたんですね?
n:放射線を使う治療は、かなり初期からあったんですが、ジョン・ローレンスは最初、中性子ビームを使っていました。しかし、やっぱり陽子ビームがいいのではないかとなった。で、陽子ビームは1950年代にバークレーの研究所で始まったのです。作ったのはウィルソンというのちにフェルミ研究所の所長さんになった方で、彼が作った陽子加速器が医学用の第一号なんです。
b:ウィルソンも、もちろん加速器屋さんですよね?その人も医療に興味を持っておられた?
n:そうです。彼はバークレーにいたわけです。アーネスト・ローレンスのお弟子さんだったんです。
b:つまり、バークレーに人材が集まっていて、その中心だったということですよね?
n:そうですその頃はね。僕も1770年代に重イオン照射が始まった頃から興味をもちました。当時、今よりもバラエティーがあって、大変に面白いなと思いました。
例えば、放射線を当てると不安定な原子核ができますよね?酸素(O)15はO-6からできるんですけど、O-6を加速してO-5という不安定核を作ります。その不安定核をうさぎの脳にぶつけると、O-5が脳の局所に止まるんです。一方、O-5はβ+崩壊するので、そのため510キロ電子ボルトの2本のガンマ線を出すので、そのガンマ線を測定します。脳に血流があると、そのガンマ線がどこか体の別のところに運ばれます。無くなってしまうんですよ。その無くなり具合を調べると、脳の中のどういう血流があるかを調べられるんです。不安定原子核を利用した脳血栓の研究と言えます。
b:なるほど、レントゲンの話はX線で体の中の構造を調べたのですが、ガンマ線で、脳の構造を調べるのですね。
わりに先生は脳の話をされますよね。放射線治療は、キュリー夫妻が始めたわけですよね。放射線はがんをやっつけたり、エックス線で体内を透視したりするという話が多いですが、先生のお話には、脳の話がよく出てきて面白いなあと思いました。
n:それ以外にも、植物の突然変異の研究とか、犬や豚の食欲中枢を刺激するか刺激しないかという研究もありました。
b:そうですか。それも脳に関係していますよね。こんなこともできるのかと思って面白いですね。
n:そういう研究にも、せっかくなので物理の人が関わるといなと思っています。別の分野の研究もしてもいいんじゃないかなと、最近よく思います。僕は群馬大学大学院のプログラムオフィサーというものをやらされていて、つい最近まで群馬大学の治療用重イオン加速器を訪問していたのですけれども、いろいろ治療効果というのは重要ですが、せっかく加速器を作ったんだったら、物理的にも面白そうなものもやっていただきたいなと思っています。
b:おもしろそうですね。
n:ローレンスの弟さんは、その後、僕のいる頃に医学部長やっておられたのですが、種類は忘れましたが、放射線を使ってアイソトープが沢山できるので、それを飲むと、それが放射線を出すので、トレーサーの役割を果たす。それが彼の大きな仕事に一つになっています。やっぱり世の中にはいろいろ逆転の発想ができる人がいて、偉いなと思います。
b:確かに、逆転発想は大切ですね。例えば、ミューラーが放射線をハエにあてて突然変異を調べたわけですよね。それまでは突然変異は自然にしか起こらないと思われていたが、人工的にも起こることがわかって大騒ぎになるわけですよね。それで面白いのは、コペンハーゲンで、ボーアたちが、このことに大変エキサイトして、それで、何を始めたかというと、放射線で突然変異を調べるというのは、生物の一番基本的な問題を解決するはずだ、と言い出すわけです。こうして、生物物理学の幕開け時代になるわけですけ。コペンハーゲンにいた科学者たちは、新しい分野に挑戦して猛烈に勉強を始めるわけです。その現場におられたのが、仁科さんだったらしいんですよ。
(仁科芳雄:日本の物理学者。ニールス・ボーアの講演を聴いて物理学の新しい分野の研究に興味を持ち、1923年4月にコペンハーゲン大学のボーアの研究室に移った。)
n:へー、そうだったんですか。
b:それで、仁科さんが日本に帰ってきて一番はじめに加速器を作ったときに、これでネズミにあてて調べろと言ったらしいんですよ。私はそれを知らなかったのですが、昔の物理学会誌に載っていたんですよ。物理の人って、物理の対象は素粒子や原子核だけじゃないと考えていますよね。いろんなものを全て物理で見るということです。