放射線生体影響に関する物理学、疫学、生物学の認識文化の比較分析

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研究者・専門家へのインタビュー(永宮先生)

永宮正治允先生へのインタビュー 2/6

アスタチン : そのなれそめと今

n:実は僕、理化学研究所の一番初期のサイクロトロン、熊谷先生という方が設計されたのですが、その頃に僕は学生で、そこでドクターをとった第一号なんです。理研は50年前に和光に移ったので、考えてみると48年前に理研に行って実験をしていました。

b:そうなんですか、理研も面白いところですよね

n:そのときから、物理の人だけじゃなくて、化学の人も、生物の人もまじって実験をしていましたね。だからね。僕はその人たちとも仲良くしてたんです。

b:それで、先生は幅広いんですね。土岐さん(土岐博 核物理研究センター教授)がね、永宮さんは幅広い豊富な知識と好奇心を持っておられる、と言っておられたんです。やっぱり環境がいいですよね。でも環境が良くても、まったく反応しない人もいるので、そういう意味ではやっぱり永宮先生は好奇心の塊だったのですね。

n:だけど、一番の放射線治療に関係するのは、アスタチンでした。その頃は誰もアスタチンに注目しませんでしたが、これを飲むか注射をすれば、ガンの治療に役立たないかと思ったんです。最近、結構もてはやされていますね。

b:先生、アスタチンを飲んだらいいというのは、いわば内部被ばくさせてるわけですよね?そういう発想ってありましたか?

n:トレーサーが同じことをやっているわけですね。トレーサーはみんな注射するか飲んでやりますからね。だから飲んで、例えば骨に付随するものとか、膵臓にいくものとか、そういうのは化学物質によって違うわけですよね。だから飲む種類を変えるわけですよね。

b:そういえばそうですね、特異的にがん細胞にうまくアタックするような物質とくっつけておくと、それをがん細胞にアタックさせて、がん細胞をやっつけるわけですね。

n:そう、それでね、アスタチンってのはハロゲン族でフッ素やヨウ素と同じ系列に居ることまでは分かったのですが、人体の中ではどこに入りやすいのか、僕は全然分からなかったので、そのころ、少し発表に躊躇していたこともあります。

b:結局、論文は?

n:いや出してないです。

b:わあー、もったいないですね。書いていたら面白くなっていたのに。

n:書くところの寸前まではいっていたのですが、急にアメリカに行かないといけなくなったので、やめておきました。

b:原稿はありますか?あったら是非。

n:ただね、アスタチン210は有毒のポロニウムも発生するので、最近はポロニウムを出さないアスタチン211というのが流行って来ているのですよ。

(アスタチン210は毒性のあるポロニウムにも崩壊するので、今注目されているのはポロニウムに崩壊しないアスタチン211。アスタチン211のアルファ崩壊の寿命やエネルギーはアスタチン210とほぼ同じ)

b:どのへんで流行っているのですか?

n:理研でもやりたいと言っているし、阪大でもやりたいと言っているから、いろんな所にあるのではないでしょうか。

b:なるほど。このごろよく聞くようになりましたね。

n:それに、中性子はほとんど効かないと以前言いましたが、中性子をボロン(ホウ素)に当てることによって、ボロンをまた崩壊させて、そこから出るα線を使うという方法もあります。アルファ崩壊を使うという意味では、よく似たアイデアです。最近よく使われていて、α線も悪くないのかなと思っています。

b:しかもα線ってのは、飛程距離が短いから、ほんとに近いところだけに当てられますよね。

n:そういう意味では、β線なんかよりはいいですよね。当時はCo-60からのγ線を使うガン療法もありました。しかしこの方法は皮膚を痛めるので、回転してフォーカスさせたりしていましたね。ハーバード大学が一番進んでいましたけどね。


放医研とのなれそめ

n:僕は平尾さんという方を高校時代から知っているんですよ。新婚の頃にスキーに一緒に行ったことがあって、お二人の間に入り込んで怪しからんとか後で言われましたが、楽しい思い出です。平尾さん自身に聞いたところによると、僕が「自然」という雑誌に重イオン治療について書いた解説記事は、放医研の設立にとって大変励みになったと言っておられました。

b:がんの重粒子線治療を切り開いた平尾泰男博士(元放医研所長)ですね?

n:そうです。重粒子線によるがん治療はバークレー研究所の加速器ベバトロンで様々な粒子による治療が行われたましたが、はっきりとした成果を出す前にシャットダウンされました。しかし、その研究結果からどの重イオンの治療効果がいかに高いのかということを世界で初めて検証しました。

b:放医研はちょうどビキニ(ビキニ環礁の水爆実験)のときにできたんですよね?

n:もっと後ですね。

b:重イオン線ができたのはいつだったですかね。

n:中曽根首相の頃ですね。中曽根さんがアメリカに行ってエキサイトして帰ってきたんですね。そのころは負電荷のπ中間子も可能性としてあったんです。中曽根さんは湯川さんが発見したπ中間子を医療に使わない手はないと言っておられましたね。そういった方面の努力もあったのです。しかし、その後重イオンの方が勢力を付けてきました。


昔、バークレー時代、坂本澄彦先生という東大医学部助教授だった人が居られました。その人と仲良くなって、よく一緒に飲んでいました。その先生は今でもご存命ですけど、東北大の放射線の教授になって、もうお辞めになったんですけど、当時、飛行機に乗せてウサギかネズミを100-200匹集めて重イオン照射やっておられました。

1970年代のバークレーにおける重粒子線治療と当時の実験室と治療室

b:なるほど、飛行機に乗せてやるというのは、人類が宇宙に旅立つうえでも、いろいろしておかなければいけないですもんね。


π中間子のこと

n:粒子線治療の業界の事を調べているときに、重イオン照射治療のことを僕が「自然」に書いた直後に、坂本先生が、パイオン照射治療のことを「自然」に書かれたんですよ。

b:たしかに湯川先生の五十周年の国際会議にファインマンが来たことがあったんですけど、湯川先生も興味をもっていて、京大の阿部光幸先生がπイオンについて発表されたんですよ。

n:そのころたしかに阪大の井上さんとか、何人かの方々がロスアラモス研究所に行って、π中間子の実験をやっておられました。それを仲介していたのが中村誠太郎さんや読売新聞だったんです。なぜかわからないけど、お金を出してやっていましたね。数年は続いたんですけど、やはりπ中間子は少し問題だということになってきましたね。

b:阿部先生もその頃、フォーカスが難しいので、と言っておられましたね。

n:僕もよく分かってないのですが、重イオンの場合は、ブラッグピークがものすごくシャープなんですけど、パイ中間子では、負のパイオン吸収の後、多くの粒子が出てくるので、かなりぼけてしまうとか言われました。もっとも、重イオンほどシャープではなくても、陽子ビームみたいに広がった方が得な場合もあるのではないかなと思っているんですが、パイ中間子ではそれ以上の広がりがあったのかもしれません。

b:それはまあ腫瘍の大きさにもよりますよね。

n:そうですね。


重イオン装置

b:たしかに重イオンは装置が大変ですよね。

n:ただ最近重イオン加速器はすごくファッショナブルになってきていますよね。

b:そうですね、日本でもあちこちにできてきていますよね。

n:そう、大阪にもできるし、放医研、兵庫、群馬大学にももちろんありますしね。その他、いくつかあります。世界的にみても、日本が一番進んでいるんです。

b:企業はどれくらい関心を持っていますか?

n:そうですね、住友の熊田君っていう人がいるんですけど、彼は医療用サイクロトロンを一生懸命作っているんですよ。

b:まあ加速器を手がけてきたところはできるはずですもんね。

n:まず簡便な陽子加速器を作っています。京大の原子炉に治療用に無料で置いて納入したりしているんです。重イオンはもう少しテクノフルジーがいるかなと思います。

b:国際的にトップにいけそうな感じですかね?

n:現時点ではトップですね。逆に言うと、他の国が退化しているんですよね。余談ですが、僕はバークレーの時に、サンフランシスコの大学の先生と親しくしていたこともあって、あるときに電話がかかって来てうちの会社に来ないかと言われました。しかも、今貰っている給料の三倍か四倍出すと言われたんです。ちょっとどうしようかなと思いましたけどね、何のために行くのかと聞いたら、医療用のサイクロを作りたいということで、当時はアメリカもそういう時代でしたね。結局僕は行かなかったですけどね。今はそういう勢いもありません。

b:重イオンは、一番初期の段階を放医研と兵庫県の播磨にある兵庫県立粒子線治療センター研究所でやっていて、阿部先生はそこの初代の所長なんです。よく写真を見せて、放射線治療直後でも、みんながゴルフをしている写真をみせていただきました。

n:平尾さんも放医研の所長でした。辻さんという方も放医研にいたんですよ。筑波大の先生でしたが、平尾さんに引き抜かれて、放医研に移られました。

b:物理学会で一番最初にキャリア支援事業で、ポスドクのキャリア拡大とおいうことで放医研に見学に行ったときに、ブラッグピークの話とかを聞かせてもらいました。

n:順天堂、立教大学も物理の観点からよくやっていすね。群馬大も、そういう医学物理士のようなものをつくればいいのにと思っています。

b:国際的にはアメリカがリードしてきたのですが、今は、EUが中心になって、医学物理士の質を高める取り組みが、全体で盛り上がってきていますね。

n:僕も昔から、医学物理士の養成は特に重要だと思っています。

b:今では、この方向に行った人が、結構な数います。羽賀さんは、東大の中川研究室にいきました。でも、今年から、徳島大の教授になったということです。みんな物理からいくと少し質が違って、スキルはあるしコンピューターも使えるし忙しいんですけど、なにかもう少し高い志をもってほしいと思いますね。ヨーロッパは物理をきちんとやった人材を作るべく教育プログラムを組んで各国で協力して動いているみたいですから、日本も頑張ってほしいです。


脳と放射線

n:少し昔の話に戻ります。バークレーにはローレンスが作った最後の184インチのサイクロトロンがあって、そこで僕も実験していたことがあります。そこに面白いコーナーがあって、有名な人が来た折に、脳に放射線をあててどういう「閃光」が見えるのかを調べていたんです。

1970年代に行なわれていたバークレーにおけるアルファ粒子線を用いたがん治療

b:脳に焦点を当てるのは面白いですね。最後は脳ですからね。

n:そう。脳でなくても、なにか基本的な研究をするのはおもしろいですよね。当時は宇宙旅行を夢見る時代でしたので、放射線の強い宇宙空間に行くと人間はとういう光を感じるのかという、いわば、人体実験でした。

b:たしかに物理が入ると基本的な研究になりますよね。和田昭允先生(本インタビューシリーズ「生物物理学とゲノム計画」参照)に聞くと医学は、物理があまり好きではないみたいなんですよ。日本でゲノム計画を最初出したときに、物理屋がやるなら医学がやると言って潰されたみたいですね。結局アメリカがゲノム解読は90%ぐらいやったみたいですね。まあ和田先生は負けたとは思っていないみたいで、このアイデアは、和田先生が最初に出されて、アメリカにいって宣伝されたらしいですよ。それをあちこちで説いていたら、それでアメリカが乗り出して、ヒトゲノムの解読が始まったんですよね。普通だったら、「ゲノム敗北」という本まで出ているから、結構消耗してられたのかなと思ったら、「いやいや、小人が巨人を動かしたのだからそれでいいのですよ。」と言っておられました。

n:和田先生はなかなか偉い先生ですね。何でも、木戸孝允(長州藩士。政治家、明治維新に貢献)のご子孫と聞いています。だからか、その頃東大で、教授の所得のランキングがあって、いつも一位とか二位だったと聞いています。

b:そうですか。和田先生のご自宅が、日本の初めての洋風建築みたいで写真がたくさん残っているみたいですね。少し話がそれましたね。

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