放射線生体影響に関する物理学、疫学、生物学の認識文化の比較分析

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研究者・専門家へのインタビュー(永宮先生)

永宮正治允先生へのインタビュー 5/6

J-PARC

n:ところでぜんぜん違う話ですけど、これも文章は日本に帰ってからの話なんですけど、J-PARCをどうやって作ったかの記録なんです。これは実はオープンにしてないんですよ。個人名がたくさん出てくるんでね。

(J-PARC :ジェイパーク、Japan Proton Accelerator Research Complex 茨城県那珂郡東海村 高エネルギー加速器研究機構と日本原子力研究開発機構の共同プロジェクトによる大強度陽子加速器施設)

b:J-PARCでは、純粋の物理学の人間と、それだけじゃないちょっと違う異質のところと一緒になりましたよね。原子力研究所というのは、そもそも出来た経緯も原子力発電をもとにできたわけで、初期の段階では中井さんも含めてみんなで頑張ってやろうとしていましたけど、だんだんあそこでは研究したらあかんという雰囲気も出てきて、少し違う体質になりましたよね。だからそこと一緒になってやるのはとても大変やったのではないかなと思うんですよ。

n:たしかに大変でしたよ。
話は変わりますが、自分の歴史を振り返ると、バークレーの時期は第一期で、第二期がコロンビア大学の時期で、第三期はJ-PARCの時期だと思っているんですよ。そのあとそんなに勉強もしてないんだけど、最近はハンガリーに柔道がどういう風に伝わったかを調べたりしています。それでこんな本を作ったんですよ。

b:なぜハンガリーの大学とのつながりがあるんですか?

n:僕はこの大学はまったく知らないんだけど、全ての体育を牛耳っている大学らしいんですよ。オリンピックの金メダリストも沢山出しています。

b:柔道に目をつけたのは向こうが割と早いんですか?

n:日本の本格的な柔道が伝わったのはここが一番最初なんですよ。110年前とかですかね。その100年以上前の歴史を書いた本なんですよ。今はね、ハンガリーの柔道協会だけじゃなくて、剣道協会や民族舞踊などもあって、これをどうやって日本に輸入するかというのを一生懸命考えているんですよ。

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