研究者・専門家へのインタビュー(永宮先生)
永宮正治允先生へのインタビュー 3/6
物理の医療の関係
b:医学部というのは目的が病気を治すということが最大の関心事ですから、目的が基礎科学とは少し違いますよね。私は今この本を読んでいるんですよ。 (「病気の皇帝「がん」に挑戦する」)
n:はー、なるほど。
b:これがとても面白くて、放射線の話もあるのですが、がんがどういうふうに克服されてきたかという歴史なんですね。切り除くか毒を入れて殺すか、そのどちらにするかという歴史がたくさん書かれています。しかしその中で、一番はじめにガンのメカニズムを解明しようとしたのが、白血病なんですよ。なぜかというと、他のがんは、大きくなってもなかなか切ってみないと分からないじゃないですか。しかし白血病というのは,血液をとればすぐに分かりますよね。しかも観測もしやすいということで白血病から始まるんです。はじめは細胞が増殖するということすら分からないわけですよ。細胞説がなかったわけです。ウイルヒョーと言う人が細胞説を出したんですね。じゃあ細胞一つが大きくなるのか、細胞自身の数が増えるのかどっちなのかという話から始まった基礎科学的なイメージがあるのですが、医学では、それよりも、どうやって切るのかとか、どうやって毒を混ぜるのかという話ばかりですね。でも結局最後の勝利は、ワインバーグがガンウイルスを見つけて、DNA構造がわかってきて、がん遺伝子とがん抑制遺伝子がエッセンシャルだということがわかったのがつい最近です。ワインバーグ(ロバート A.ワインバーグ)がp53というがん抑制遺伝子を見つける過程で活躍されたんです。p53は、がん細胞のなかに必ず見つけるのでがん遺伝子だと思われていたんですけど、実はガンをやっつける遺伝子だったんですよ。
まあ、それはそれとして、この本を読んでいると、医療は目的が直すことだから、原理がどうやこうや言う暇があったら早く治療してくれよという感じもありますからね。
n:なかなかジレンマですね。医療には、患者を助けるという目標がありますからね。
b:和田先生は、「医学は科学ではないですからね」なんておっしゃりますね。でも日本の中にも医療で放射線治療に関わる人は増えてきているんですかね?
n:ぼくもよくわからないですけど、物理の中から興味を持つ人が増えていると思います。
b:物理の人はわりに何でも興味を持ちますが、他の分野は難しいですよね。生物物理ができたきっかけを調べると、シュレディンガーの本のなかに、「DNAは繰り返しも、規則性もない、しかし、一定の規則があるしランダムでない情報である」と書いてある。こういう対象を物理学でどう解決するかという問いがあった。和田先生はそれを、情報ということからとらえたいと思い、それで生物物理学を始められたみたいですね。だからヒトゲノムの世界に行くわけですね。
でも、確かに、それは一つの道なんですけど、もう一つの道は、突然変異は生命の本質に迫れると言うことで活発に調べ出すわけです。突然変異がどれぐらいの頻度で起こるのか、それは今でも問題になっていて、放射線当てても突然変異は起こる訳ですから、福島でも問題になっているわけですね。その頻度というのがどれぐらいかというのをきちんとDNAから調べてみると、昔は人とサメが同じ類であって、それが分化してくるわけですよね、サメの血液と人の血液を比べて、ヘモグロビンのDNA構造がどれほど変わっているのかが分かります。すると、突然変異が起こっても同義アミノ酸などはアミノ酸には関係なくて、要するに、何も関係はないけれど突然変異は起こっているという割合があるわけです。それを調べると、その頻度が、人間の進化の速さに比べて非常に早かったわけです。これに目をつけたのが木村資生(遺伝学者:日本で唯一のダーウィン・メダル受賞者)なんです、おおかたの突然変異は進化にも選択率にも関係ない、これが中立説ですね。分子生物学と進化を結びつけたのが木村資生なんですよ。今さら木村資生は偉い人やったんだなと思いますね。実は、木村素生は京都大学なんでしょ。木村資生は学生時代がちょうど戦後で、田村松平さんという京都大学の先生で、量子力学を私たちも教養で教えてもらっていたのですが、木村先生の叔父さんだったということで、よく食事をさせてもらっていたらしいです。そこで物理をしっかり勉強したんですよ。だから、ミクロとマクロを結びつけるという発想は木村資生もやっていますけど、林忠四郎もそうで、エレメンタリープロセスと星の進化を結びつけたりしていますよね。そういうミクロとマクロを結びつけるというのは、オリジナリティーは日本にあるみたいですよ。
n:それは知らなかったですね。
b:それで私は、日本は面白い国だなと思うわけです。そういう意味で生物物理が生命の本質につながると思ったグループとか、いろいろ違うんだけど物理的な発想から繋がるという例が多いわけですよね。先生もそうだと思うんですけどね。医療とそれを結びつけるというのもね、マクロとミクロを結びつけているわけですからね。そういうのができるのは、物理だからなのか、なんなのかなと思うわけです。
n:何ででしょうね。ただ先ほども言いましたけど、物理の人が生物に行くことは沢山あるんだけど、逆はなかなかないんですよね。
b:どうしてでしょうね。例えばICRPで委員をやったり国際的にもよく知られている丹羽先生というかたがおられるんですけど、この人もまた面白い人生で、京大の始まったばかりの放射線生物研究室に入られたらしいです。だけど丁度、学園紛争の頃で、丹羽先生は体育系で、デモの前に出て行って文句を言っておられたらしいです。そしたら目をつけられて、「あいつをやっつけろ」となったので、当時の先生が「危ないからアメリカ行け」と言って、それでアメリカに行って、それで放射線生物を勉強したみたいですよ。
(丹羽先生 :京都大学名誉教授 、現・公益財団法人放射性影響研究所理事 丹羽 太貫 先生)
n:へー、それはおもしろい話ですね。
数学は必要か
b:その先生は私たちのモデルにもいろいろアドバイスをくださるんですけど、「わしはな、微分方程式は分からんので数値を出すとダメなんですよ」と言ってました。あるとき一度話を聞いてくださいと言ったら、「今日は、算数の分かる甲斐さんを連れてきたよ」と言ってくださいました。
どうなんですかね。私は、科学好きを育てようと思ったら、一度、算数の壁を乗り越えないといけないのではないかなと思うんですよ。実験の好きな子供たちはたくさんいるんです。特に、生物好きな人もたくさんいる。しかしそれが本当の科学好きになれるかどうかは、出た結果を数量化して客観化するという壁を乗り越えない本当の科学にならないのではないでしょうか。
(甲斐さん :大分県立看護科学大学教授 、日本保健物理学会会長 甲斐 倫明 先生)
n:なるほど頭が痛い話です。ただ数値だけじゃなくて、メカニズムがわからないとだめですよね。ガモフの論文でα崩壊のトンネル効果に関する有名な論文があるんですけど、そこで積分の計算が出てくるんですよ。ガモフは積分計算の仕方を知らなかったから、数学の先生に聞きに行ったそうです。単純な積分計算でしたが。
b:まあ、アインシュタインも難しい数学は数学の得意な人にかなりやってもらったみたいですけどね。ともかく物理って言うのは数学っぽいけども数学じゃないんですよねえ。ちょっと、興味深いのはファラディですね。かれは、鍛冶屋のせがれだったのですが、本屋の小僧で働いているうちに本をたくさん読み、科学が好きになって、とうどうデービーという偉い人の弟子にしてもらうんですが、何しろ庶民が科学者になるって時代ではないし、学校も出ていないのです。しかし、アイデアはすごく、科学者としては頭角を現すんです。で、彼は場の理論の概念は出したけれど、それを定式化できませんでした。それを成し遂げたのはマックスウェルでした。この2人の共同作業で、今日の時代を迎えることができたんですよね。数学はできなくても、鋭い自然を見る目とideaが豊富な科学者もいますね。
n:大変に面白い話ですね。ところで、昔はみんな物理帝国主義だと言っていたけど、今はそうでもないですね。生物帝国主義って僕は思っているんだけど。話を和田先生に戻しますと、和田先生はもともと小谷先生のお弟子さんなんですか?
b:化学の専攻だったのだそうです。
n:小谷先生が生物物理を始めたと聞いていますので、そのお弟子さんかなと思ったんですけどね。
b:なんか、物理教室反逆児だと言っておられました。
n:反逆児かどうかわからないけど、僕がちょっと東大にいた頃には、物理教室の教室会議っていうのが四席ありました。一番席は主任とか特殊な方が座るんですよ。二番目三番目はおとなしい人というか普通の人が座って、四番目はね、たばこを吸う小柴先生と山口先生とかうるさい方がたくさん居られました。どういうわけか和田先生は常にそこにおられましたね。僕もいましたけど。
Weissさん 物理学のそうそうたるメンバーのこと
b:そういえば、先生はWeissさんもご存じだったんですね。
n:そうですね。Weissはとても古い友達ですね。
(Weissさん :Dr. Wolfgang Weiss、ドイツ、原子放射線の影響に関する国連科学委員会UNSCEAR元議長)
b:京大原子炉主催の国際会議に出席したときに、高橋千太郎先生が、Weissさんを紹介してくださったんです。「物理出身です」と言っておられて、親近感がわきましたが、Weissさんは国際会議中みんなにずっと質問を浴びせていましたよ。Weissさんの質問は的確で感激しますよ。それでそれを伝えたら、「日本の福島の問題は、放射線の危険性の問題より、科学の信頼が地に落ちたことの方が問題だ。それを回復するのはとてつもない時間がかかる。私はそのためにできることをやっているんだ」とおっしゃっていました。議論をしっかりする方で、物理屋の気風が感じあられました。Weissさんは、放射線生物、放射線防護関係の日本で開かれるものにはほとんど顔を出しておられますが、国際会議に出て、「何を話しても何も質問がでないね」と言っておられました。
(高橋千太郎先生 :京都大学 複合原子力科学研究所 教授)
n:私は昔バークレーにいた頃に、スリーマイルアイランドの原子炉事故が起こったんですよね。
b:ああ、あの頃ですか。
n:それでその直後に、エドワード・テラーが講演したんですよ。彼は大声で「スリーマイルアイランドはいかに原子力が安全かということを見せつけたんだ」と言ったんですよ。僕はびっくりしましたよ。
b:テラーは日本では悪者扱いされていますよね。原爆を落としたことを悪いと思ってないと言われてね。
n:テラーとオッペンハイマーの確執がありますからね。だけど、テラーはどういうわけか物理でもよく出てきますよね。
b:そうですね、いい仕事していますよね。
n:ハンガリー人でね、物理ではなかなか優秀な方ですよ。僕も自分たちの物理のグループ会議に来られてお会いしたことがあります。ハンガリー人というのは、優秀な人が多いですね。
話は飛びますが、フェルミとコロンビア大学との交信録がたくさん残っているんですよ。実は教室内を掃除をしていたときに、地下室から沢山ボックスが見つかったんですよ。アインシュタインやプランク等の直筆の手紙がね。その中で一番多かったのはフェルミでしたね。ここにありますよ。一つ差し上げます。実は、これはT.D.Leeが作った本なんです。その中にフェルミがコロンビア大学の移る前に、当時学部長だった人との交信が沢山残されています。その一つに、「私はオファーを受けるけど、他にも私の仲間で仕事に就けない人が沢山いる」と書いて、そういう人をずっとリストしていたんですよ。その例が、セグレ、ピーグラム、ロッシ、ラカー、まあともかく有名な人が沢山いるんですよ。彼らはユダヤ人で職をもらえなかったんですね。
b:じゃあ、まだフェルミがイタリアにおられた頃ですね。
n:そうです。それでフェルミはその年にノーベル賞をもらうんですよ。スエーデンからアメリカに密航する時の手紙も残っていました。
b:へー、それはまた珍しい手紙ですね。フェルミはその時しか家族を国外に連れ出せなかったみたいですからね。
n:それでね、フェルミがコロンビアに来るんですが、そこにシラードという人がいました。ハンガリー人です。ある時、ニールスボーアの講演があり、フェルミは核分裂と呼ばれるフィッションに違いないと思い、それでシラードと共にチェーン・リアクションを言い出したんですね。そこから原子核分裂、原子力、原子爆弾というものが始まったんですよ。
マンハッタン計画
b:へー、すごい歴史ですね
n:それで、マンハッタン計画になるわけです。何名かがニューヨークで集まった写真も残っています。
あとは、この本にラビさんとか、湯川さんとか、ノーベル賞をもらった人が沢山載っていますね。湯川さんには面白い話があって、湯川先生がノーベル賞をもらった時はコロンビアに居られて、学長から湯川さんに電話がかかって来て、「これから祝辞を言いたいから」ってね。それで湯川さんが学長室に行ったらしいんですよ。しかし、僕らのコロンビアの物理教室の噂によると「あの学長はけしからんかった」となっているんですよ。湯川さんがノーベル賞を取ったのだから、学長が湯川さんの部屋に来るべきだろ、呼びつけるとは怪しからんと。その学長が誰だったかというと、あの有名なアイゼンハワーなんですよ。アイゼンハワーはコロンビア大学を辞めてからホワイトハウスでに行って大統領になったんですよ。
湯川先生が使っていた黒板があって、それをT.D.Leeも引き続き使っていたんですが、僕はT.D.Leeのオフィスの向かいに居ました。
b:へえー、アイゼンハワーはアメリカ大統領の中では割と好きなんですけど、アイゼンハワーの最後の講演をNHKで聞いたんですけど、「軍産学共同というのは大統領がどんなに頑張ってもあらがえないシステムだ」といったんです。要するに、科学と軍の関係に悩んでいたことがわかりますね。
物理学者の広がり
n:有名なBCS理論のクーパーさんがいるでしょ。彼は湯川先生のお弟子さんなんですよ。湯川さんは英語はできないけど、何か惹かれるものがあると言って、コロンビア大学の湯川研に入ったみたいですよ。
2003年に原子核の国際会議やった折に、湯川先生の100年記念事業を同時に行いましたが、そこにクーパーさんを呼びました。彼は来ますと言っていたんですけど、学長で色々あったのか。結局来れなかったんですよ。ともかくクーパーさんは、物理をやってから生物をやっていたんですね。少しシュレディンガーと似ているんですね。やっぱり物理から生物に行く人は多いですね。
b:だけど、物理から生物に行くという道でも、シュレディンガーが示した道だけはあまり成功していない気がするんですよ。なぜかというと、シュレディンガーは繰り返しのない規則が量子力学を超える何かがあるかもしれないと言って、ミクロの量子の話から攻めようとしたわけです。しかし、その後日本で成功したのは結局アミノ酸レベルからの話なんですね。ちょっと下の世界まで下がりすぎたんですね。福留さんも生物物理に行ったけど、結局最後の仕事は結晶なんですよね。
n:ちょっとバークレーの話に戻りますが、バークレーに僕が行った頃は、日本ではアイソトープの規制基準が高かったんです。一方、バークレーでは規制があまりなかったんですね。それでこれはしめたと思ってね、僕らは184インチのサイクロトロンでミューマイナスを作っていたので、プルトニウムをターゲットにしてミューオンの挙動を調べたいと思いつきました。当時、プルトニウム300gぐらいが必要だったんですね。調べたら、リバモアにあることが分かって、電話したらすぐに持って来てくれたんですよ。
b:えー、プルトニウムなんかそんな簡単に持ち運べるんですか?
n:もちろん今は無理ですよね。その頃はプラスチックのバッグに入れて持って来ましたよ。何のシールドもなかったですね。触ると熱いんですよ。カウンターに置くとね、ブワーっと鳴るのです。大丈夫かなあと思いましたね。それで実験したんですよ。何が分かったかというと、ミューオン吸収にはプリマコフ・プロットというのがあって、Zが大きくなるとどんどん寿命が短くなっていくんですけど、プルトニウムはこれくらいの寿命だという数値が計算されていました。しかし、その計算値よりも、実験した寿命が長いんですね。なぜかなと思って調べると、ミューオンが吸収されると核分裂を起こすので、核分裂片がプルトニウムよりはるかに軽い原子核になるので、そこにミューオンが捕まるとミューオンの寿命が長くなり、その効果が実験結果に見えていたのでした。そこから10年後に、ハイゼンガーという人に会ったら、「君たちはよくやってくれた。私はあの研究を精密測定しているんだ」と言ってくれました。そういう無茶なことをしていたんです。
b:そうですか、なぜアイソトープにそんなに目がつけられなかったんですかね?
n:やっぱり放射線は見えないじゃないですか。だから、その当時はそんなもの靴の裏に付いていても、誰もチェックしないでいたわけですよ。ところが、僕が行った直後ぐらいに、ある部屋に置いてあったアイソトープを飲んだ人がいたらしい。何のために飲んだかというと、自殺のためだったんです。しかし、なかなか死なない、という事件がありました。まあつまり、アイソトープの管理はかなりずさんだったんですよね。
b:アイソトープはトレーサーとしてはずいぶん前から使われていたはずですよね。むしろ生物の人のほうがよく使っていたんですよね。なので、アイソトープセンターなどには、生物の人がよく出入りしていますね。素粒子なんかね、放射線を扱ったことないから、みんな怖がる人が多いです。素粒子グループの会合に行くと、特に理論の人たちは、放射線は怖いの一点張りですよ。
ビキニ事件
n:ビキニのね、久保山愛吉さんが被爆したじゃないですか。あの頃日本に降った雨にはすごく放射線が含まれていたらしいですね。しかしその頃浴びた人と、それ以外で浴びた人とで、今ではほとんど差がないみたいですね。もっとも、久保山さんご自身が浴びた放射線量はすごかったですが。
b:久保山愛吉さんが亡くなったのが放射線量と言われているんですが、実は違うんですよね。これはね面白くて、私たちは勉強したんですよ。素粒子側は放射線は怖い怖いと言って、生物側はたいしたことないと言っていたんですね。素粒子側は、「化学反応は1eV(エレクトロンボルト)のオーダーだが、放射線はミリオンエレクトロンボルトですよ」と言って、生物の人たちは「まあ数字は分からないけど、それでも死んでないですしね」なんて言って言い争っていたわけです。それでまあだんだん私たちもリペアというものが分かってきたんですけど、その時に、久保山愛吉さんの話になって、白血球量が放射線に当たると減るわけですよね。広島、長崎でも減るわけです。それでも時間がたって、増殖が復活するのです。ところが久保山愛吉さんはその復活の時点から、また減り出すわけですね。その図を見て、医療に詳しい宇野さんが、「なんや、これは血清肝炎じゃない」と言ったわけです。私はそれでびっくりして、二人でものすごく調べたわけですよ。そしたらどうもね、久保山さんの死因は血清肝炎なんですよ。ここで大量輸血しているんですよ。大量輸血でもちろん白血病は治るんだけど、今度は肝炎になるんですよ。ビキニ水爆事件で、マーシャル島の現地人を調べたら、肝炎なんてほとんどいないわけです。つまり肝ガンになったのは日本だけなんです。それで驚いて調べたら、その当時はまだ輸血に使われる血液は売血だったんです。まあ、10年後にライシャワー事件というのがあって、その時になんとなく結成肝炎という話は知られるようになり、「黄色い血」は輸血に使えない、みたいな感じで、何かあるというのは、医者の間ではわかっていたんですよね。ライシャワー事件があった時点で、売血をやめて献血制度になったそうです。でも、肝炎で死んだというのは医者は言わなかったんですよ。私たちは、放射線で肝がんになったと言い続けてきて、竹谷三男の「死の灰」(岩波新書)という本があったのでそれを見せたんですけどね。医療の人はそういう話を知らないけど、この2つをドッキングさせたら、原因が違うことがわかってきて、そこから詳しく調べるべきですよね。でも、医療はずっと黙っているんですね。なぜかというと、保証の問題もあるし、生きている人もいるから言いにくかったんだと思うんですけどね。結局2000年を超してから放医研の明石さんが放医研シンポジウムを開いて肝炎の話をするんですけど、明石さんも結局最後は「放射線があたらなければ死ななかった」とおっしゃるんですよね。「なにそれ、科学じゃないだろ」と思いましたけどね。あの頃エイズのこともあって血液のことでもめていまして、それが落ち着いたからシンポジウムが開けたんですよ。
n:なるほど、医者の世界はややこしいですね。
b:ビキニ何周年記念を学会で開くじゃないですか。そこでね、物理の人は、ドシメトリ―(放射線量測定)にかかわっているので、その様子をビビッドに書いているんですよ、「どこでどれぐらい放射線があったのか」とか。福島の時と同じで、しっかり計測して調べていますからね。わかりやすいんですよ。でもね、医者の方の話はいつも何かフワーっとしているんですよね。よくわからないんですよね。いつも曖昧な形で書いてあるので読んでいてよくわかりません。
n:なるほど、その辺もしっかり埋めないといけないですよね。
b:そうなんです。私も初めてお医者さんと喋ってそれがわかって、それで面白くて、山崎さんという原爆の歴史やらをずっと調べている東工大の先生がいて、山崎さんにビキニの話をすると、「それどこに論文ありますか?」と言わはったんですね。でもね、実は論文ないんですよ。最近はちょろちょろっとレポートみたいなものはありますけどね。それで私と宇野さんでいろいろ調べて山崎さんに伝えたんですよ。そしたら、山崎さんは最後に、「やっぱり僕は医者じゃないのでこの話は打ち切りたい」とおっしゃったんですよ。なぜかというと、山崎さんはビキニのまだ残っている人たちの支援をしていたんですよね。それでね、わたしも気の毒だとおもって止めたんですけどね。そやけど山崎さんもやっぱり科学者なんで、その後でちょろちょろと向こうから話をしてきはりましたね。けどね、やっぱり政治と関係すると科学的な事実がきちんと明快にならないという一つの例ですね。残念だけどしょうがないですね。