放射線生体影響に関する物理学、疫学、生物学の認識文化の比較分析

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研究者・専門家へのインタビュー(澤田哲生先生)

澤田哲生先生へのインタビュー 第1回 2/5


分野横断的研究

坂東 今日は澤田さんと「分野横断的な研究」の現状を話したいとおもってやってきています。
それでね、分野横断的な、市民と科学者の間のコミュニケーションは、実は振り返ると科学者間の分野横断的なコミュニケーションが可能かどうかという問題ともつながりがあるんですけど、科学者同士の横のつながりは希薄なんですね。20世紀は、個別科学の深化の時代だったと思いますが、21世紀の科学は、人類が直面する統合的な課題が大きくなっています。こういう研究って今まであまりないのですね。それで今回、科学史の専門家である樋口さん(※)に相談しながらこの課題に取り組もうとしています。樋口さんは、今アメリカのワシントンDCあるジョージタウン大学で教鞭をとっておられます。

※ 樋口敏広 環境史が専門、Georgetown University, Department of History

澤田 彼はなかなか冴えていますね。最初にお会いして頭のキレ、レスポンスの良さに感動しました。

坂東 切れますね。特に大学時代は生物の専攻だったこともあり、科学の本質を理解しているので、単に歴史の専門家ではなく、科学の中身から考察できる人です。あんなひとはなかなか日本にはいないですよ。

澤田 たぶん彼はアメリカに長くいらしたのではないですか。頭の構造と言いますか思考構造に加えて行動規範がもう米国式のものになっているように思いました。

坂東 そうですね。大学院はアメリカです。残念ながら、日本はそういう育ち方をした人がいないので、分野横断的な話はあまり通じないですね。文系理系という風に分かれているのが悪い影響を与えていますね。

澤田 日本の科学者って二十歳ぐらいから一つの分野に張り付いて育っていますからね。まあ視野狭窄というかドグマチックになりがちですね。専門家とも言いますが。日本の大学を見渡しても個別分野の専門家しかいない。ごく稀に広い見識をもったサイエンティストはいますが、それも坂東さんあたりで終わりでしょう。専門性を極めてそれに終始しないと、大学という籠の中では偉くなれない。専門性を極めるのはむしろ楽ですよ。専門的な論文を数多く残せば業績として評価されることが大きいと思います。

坂東 業績とか論文とか書いて他になにもできてないんですよ。勿論、ドクター論文を書き上げるというのは研究者にとって1つのマイルストーンと言いますか、研究テーマから初めて研究推進上の困難を乗り越え、さらに論文を書くということで構築力と次の課題を見つける訓練の場ですから、研究者としての最低条件を身に着ける重要な場ですが、そのあと、もっと自由に、いろいろな分野に挑戦したり新しい分野をきり開いたりする、ってことがあっていいはずですね。こういう機会をどのように獲得しているのか、とか、どういう機会にそういうチャンスを作っているのか、それでそういう所を調べたいと思ったわけです。特に医療と物理と放射線防護に関してその辺の現状がどうなっているのか調べたいと樋口さんに言ったら、「おもしろいな」ということで、意気投合して樋口さんが科学史的な観点から、そして私はこれまでのアンケート調査などの実績から学問分野を横断して書いてくれたんですよ。そういう面白い課題に取り組みたいというのがこの科研Bの課題です。

澤田 研究のタイトルは?

坂東 「放射線生体影響に関する物理学、疫学、生物学の認識文化の比較分析」です。それで、まず最初に、生物物理の和田昭允先生(※)に話を聞いたんですよ。和田先生は、「ヒトゲノム解読」の先陣を切った先生ですが、医療関係の人にだいぶ反対されて日本で成功しなくてね。

※ 和田昭允 生物物理学者、東京大学名誉教授、理化学研究所名誉研究員、お茶の水女子大学名誉学友。和田先生へのインタビューはこちら( 前編 ・ 後編

澤田 それって20年前ぐらい前の話ですか?ゲノム解析を全部アメリカにとられちゃったやつですね。

坂東 そうそう。「ゲノム敗北」という本も出ていますよね。そもそも学部時代は化学のご専門でした。で分野横断的な生物物理になぜ入っていったのかということと、ゲノム解読のプロジェクトを日本でできなかったことに関してどう思っているのかを聞いたんです。そしたらおっしゃったのが、「ゲノム解読は敗北したとは思っていない。日本ではダメだったけど、小人が巨人を動かしたのだから成功だと思っている。」と。それに、もし日本でこの計画を実行したとしたら、ものすごいお金をかけて得た結果は、全部情報公開にする原則だか・・・・まあ科学の成果は公開が原則ですけどね・・・・日本でやってももうからないといわれて、たくさんお金を使って結局世界の財産になっただけだ、恨まれたかも、って言ってられました。いろいろ言っておられましたよ。まあそんなんで、和田先生にまずはお願いして、その次に、永宮先生(※)でした。永宮先生は、若いころにバークレーに長くおられた方です。バークレーというのは面白いんですよ、なぜかというと分野横断的な研究を最初から目指していたのです。よく考えたら医学物理士への道をめざすキャリアパスの取り組みを物理学会で始めたのが2006年ごろからでした。その時に初めて医学物理士への道に対しての取り組みのシンポジウムをやったときに、永宮先生に講演をお願いしました永宮先生は原子核実験の研究では著名な方でしたが、医学物理分野に造詣が深いとは知りませんでした。物理学会で確か会長をされる頃だったので、お願いしたと思います。キャリア支援としては、さて、次、どの分野に取り組むべきかと思って、ちょうど、原子力ブームの張横があったので次は原子力だと思っていました。文科省に行ったときこの話をしたら、「なんか、隙間産業を狙っているんですね」と言われました。そうではなくて。物理は新しい分野にどこにでも、挑戦するという気風があるのだと思います。それが新しいものを生み出すそこ力につながるのです。澤田さんも原子核をやっていて、それで会社に行かれたんですよね。その後まあ今みたいなテーマに取り込まれた、そういう中で分野横断的というか、よそ者のなかでやってこられていますよね。

※ 永宮正治 物理学者、高エネルギー加速器研究機構名誉教授、理化学研究所研究顧問、米国コロンビア大学物理学科学科長、東京大学原子核研究所教授、高エネルギー加速器研究機構大強度陽子加速器計画推進部部長、J-PARCセンターセンター長(初代)などを歴任。永宮先生へのインタビューはこちら

分野横断的ネットワーク

澤田 まあそうですね。日本はなかなかよそ者がやりにくい環境なんですよ。ちゃんとした先生がいて、その中で次は弟子を育てる、これをね、有馬朗人さん(※)はインブリーディング(inbreeding)と言うんです。要するに日本の大学は近親交配でずーっとやってきた。だからダメになったっていうような話かと思います。

※ 有馬朗人 物理学者・政治家、東京大学名誉教授。第24代東京大学総長、第7代理化学研究所理事長、第125代文部大臣、第58代科学技術庁長官などを歴任

坂東 有馬先生も面白いこと言われますね。

澤田 有馬先生は未成年の頃から色々と苦労されていて、まあその苦労を感じさせない語り口調がとても洒脱だと思いますね。話の内容は示唆に富んでいます。
私が特に感銘を受けたのは浜松での幼少期から高校生くらいまでの話ですね。幼少期はとにかく工作好きの子供だったようですね。ご実家は確か町工場。でも面白いのはご両親が正岡子規のお弟子さんで、有馬さんも幼少の頃から薫陶を受けたとか。そして16歳の時に俳句誌「ホトトギス」に初入選したのですね。ご両親は殊のほか喜ばれたとかで、有馬先生は「あれはボクの最初の親孝行だったかな」と感慨深げにおっしゃっていました。程なくお父様は亡くなられ、高校生の頃からバイトで家計を支えておられたらしいですよ。有馬先生は自分の弟子をあまり手元(東大)に置かなかったとか。京大に堀内昶さん(※)っていましたでしょ。私が3回生の時に助教授で着任されて見えたのを今でもよく覚えています。有馬先生のお弟子さんですよね。

※ 堀内昶 物理学者、京都大学名誉教授

坂東 堀内さんが京大に来たのも、インブリーディングというのは、学問の発展にあまりいいことではないという思いがあったからでしょうね。

澤田 だから、そうやって東大にもお弟子さんはいたんでしょうけど、〝結構外に出した〟って仰っていましたね。そういうことをやらないと日本の科学力、技術力は衰えていくのでね。有馬先生のいうin-breedingでは埒があきませんよ。米国のように、学部ではmajorとminorをとったり、学部から大学院に移る時は他の大学に行くなどというカルチャーがないと、人材のみならずものの考え方が固着していくと思います。よく批判される〝ムラ化〟の原点はそういうところにあるのではないかと思います。原子力ムラばかりが批判にさらされますが、原子力以外の分野も似たり寄ったりではありませんかね。

坂東 そうか、有馬先生にも色々聞いてみたいですね。有馬先生と、もうひとり話を伺ってみたいと思っているのは有本さんです。有本さんは、実は京大の化学出身ですよね。京大の化学。結局ね、東大よりは京大の方がまだ分野横断をやっているんですよ。湯川秀樹さんの生物物理もそうですし。

澤田 京大の原子核工学専攻に素粒子を突っ込んだのもそういうところありますよね。あれは結構高邁な理念があって、荒木源太郎さん(※)がその辺を当時の学生に非常に熱く語っていたという話を聞いたことがあります。

※ 荒木源太郎 理論物理学者、元京都大学教授

坂東 そうですね。まあ、この陰には、湯川先生の考え方があったような気がします。そもそも、基礎物理研究所の構想も、湯川先生は、素粒子研究所としないで、で基礎物理と大きくテーマをくくったのも、そういう意図があったんですね。

澤田 ところで、板東さんはここのところ結構多様な方々にヒアリングをされているとのことですが、その狙いはどの辺に?

坂東 どうやって分野の壁を取っ払って学問が進んできたか、先駆的に新しい分野をやり始めたのか、どういうきっかけがあったのか、知りたいということですね。湯川先生は、ご自分で新しい分野に自ら突っ込んで入り込まれたわけではないのですが、分野横断的な広い視野を持っておられたと思います。まあ好奇心の旺盛な方でした。そして新しい分野に挑戦する人をエンカレッジしたわけですよ。生物物理も宇宙物理も、情報科学も、全部奨励されました。だいたい基礎物理研究所でウサギ飼うのまで許可したわけですからね。あとやっぱり生物物理という意味では、木村資生(※1)が京大で育っているんですよ。要するに「進化の中立説」というのを出して有名なんですよ。このひとは面白くて、京大で生物専攻だったのですが、結構物理も勉強していたのですね。それにはきっかけがあって、田村松平先生(みんなまっぺいさんと言ってましたが)(※2)という先生が教養部におられて、その先生、凄く人気の先生でした。で、木村資生さんは田村松平さんの甥かなんかなので、戦後すぐで食べるものもないから、松平さんのところでよく食べさせてもらっていたらしいんですよ。それでついでにかな、物理を勉強したらしいですよ。その人は珍しく生物の中で数値が分かる人でした。

※1 木村資生 集団遺伝学者、国立遺伝学研究所名誉教授
※2 田村松平 物理学者、京都大学名誉教授

例えば、3・11以後京都でいろいろな人が集まって、放射線の影響の勉強会をやりました、その時、放射線がDNA損傷のメカニズムを検討したのですが、生物の人は、ほとんどそれは活性酸素を発生させ、それがDNA損傷を起こすのだといわれたんです。え?活性酸素って電子の移動の話だから電子が動くエネルギーつまりeVのオーダーですよね、でもさ、放射線のエネルギーはmillion eVのオーダーだから、100万倍も違うよ、そんな違うエネルギーを同じように論じるのはおかしいのではないか、と物理の人は詰め寄るわけです。当時は、生物関係は宇野賀津子さん(※)だけだったのですが、「あんまり数値は分からんけど生きてるもんな」とか言うんですよ。だから内容については分かるけど数値はわからないというのが多かったですね。まあ、後でわかったのは、DNAというターゲットは体全体から言えばごく狭い範囲ですからめったに当たらないわけです。それと生体の中ではほとんど修復する機能が働くのですね。そういうことを知らないと、へえーってことになります。もう一つ生物の特徴は、「多様性を重んじる」ですね。だから私たちメガマウスの実験でこんな結果だったというと、「でもそれは別のマウスでやったら違う結果が出るかもね」と言うんですよ。統一的ピクチャーを描きたいという視点はあまりないですね。だけれど、どう考えても生物も統一ピクチャーがあるはずだと思います。だって、生物は、全部細胞からできてることがわかって、しかも細胞の中にDNAというのがあって、DNAの損傷は、物理的過程なわけですよ。そこには、べつに生物特有のメカニズムが入っているわけではないでしょ?それなら統一ピクチャーでできるはずなんですよ。だから我々は統一ピクチャーというのと、数量化モデルを作るというのができないと科学的客観的な法則にまでならないわけです。しかしなかなかこれは生物には受け入れられなくて、生物はそんな簡単にわかるわけがないと言うわけですよ。

※ 宇野賀津子 免疫学者、(公財)ルイ・パストゥール医療研究センター基礎研究部インターフェロン・生体防御研究室室長

澤田 そのおっしゃる統一ピクチャーというのがテクノロジーなのですね。科学のみでも工学のみでもない統一的ピクチャーとしてのテクノロジー。
あのですねえ。私は坂東さんに『湯川史料』を教えていただいて本当に感謝しています。あの史料は歴史の証人であり、宝の宝庫です。小沼通二さん(※)はじめ史料の整理に尽力された方々の労力の賜物ですね。あの史料の中に湯川さんが原子力学会委員を辞めた後に、京大で『綜合原子力研究整備計画』というのがありました。これはまさに分野横断の〝綜合〟研究所を作らなければならないという理念が礎になっています。とても広壮な目標だったと思うのですが、結局成就せず、京大の原子力は工学部内にできた原子核専攻と、熊取の実験所にシュリンクしてしまった。これでは分野ないしは、講座至上主義のエキスパートは育つでしょうが、より広い見識と哲学をもったサイエンティストは育たないですね。エキスパートはエキスパートを育てられても、サイエンティストは育てられない(笑)。
分野横断者とか分野越境者は勢い〝よそ者〟扱いされてます。『あなた何者?』という顔をされるか無視されますからね。〝○×先生の弟子〟というラベルがないとどうもしっくりこないんですね。何々村字○×という素性が知れないっていうわけですね。

※ 小沼通二 物理学者、慶應義塾大学名誉教授

坂東 ああ、私もねえ交通物理始めた時にそういう目に遭いましたね。今回の低線量被曝研究についてもそうです。

澤田 そうそう。原子力学会誌でなんとかLNT仮説(Linear Non-Threshold仮説、しきい値なし直線仮説)を巡って坂東さんたちにもご寄稿やご登壇をお願いしていますが、ときどきダメだし的なコメントが編集部に来るんですよ。『だからなんやねん』っていいたいんですけどね。ICRP(国際放射線防護委員会)のような放射線防護の世界には独特のカルチャーがあるのですね。だから坂東さんたちの『WAMモデル(Whack-A-Moleモデル、もぐらたたきモデル)』なんかがひょっこりと出てくると対応できないのです。そもそも〝筋違い〟だと思っている節があります。坂東さんたちは、物理的センスと数理的手法を駆使して、統一的ピクチャーをなんとか描こうとしてる、その手がかりができたわけじゃないですか。でもだから何なの?って思っている人は世の中にいるんですよ。保健物理的な人もそういう感じの人が結構いますよね。レジームチェンジを恐れているのではないかとさえ訝りたくなります。

坂東 結構わかってくれるのは、技術者なんですね。原子力学会の中でもわりと技術をやっていた人は機械が壊れたりするのと同じ過程を検討していますからね。

澤田 つまりメカニズムがあるって事でしょうね。その過程がちょっと見えてきたなという感じなんですけど、多分生物をメカニズムとして見てない専門家も結構いらっしゃるのではないでしょうか。もっと全体的に俯瞰して初めて浮き彫りになってくるようなメカニズムがあるのではないでしょうか。最近の専門家はなかなかそういう見方ができないのかも。分野はどんどん細分化する一方ですから、俯瞰する意欲と時間がないのでしょうか。

坂東 でもね、ずっといろいろ調べていると、やっぱり初期に立ち上げてきた研究者は、違うんですよ。それが、だんだんルーチンになってくると、狭い領域に閉じこもって全体を見ようとしなくなる。だからこういうことになっているんだと思うんですけどね。

澤田 まあ多かれ少なかれどの国でもそうでしょ。

坂東 そうです。だから分野横断的なことをやろうと思ったら、その壁にぶつかるわけですよね。

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