放射線生体影響に関する物理学、疫学、生物学の認識文化の比較分析

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研究者・専門家へのインタビュー(和田先生)

和田昭允先生へのインタビュー 前編 1/4

和田昭允先生 プロフィール

専門: 生物物理学
東京大学名誉教授、理化学研究所名誉研究員、お茶の水女子大学名誉学友
横浜サイエンスフロンティア高等学校常任スーパーアドバイザー、学校法人順正学園理事、伊藤科学振興会理事、グルー・バンクロフト基金評議員、かずさDNA研究所評議員、ロッテ財団評議員
1929年 東京都生まれ


序 異分野に挑戦してみて

Bando(以下「b」):今日は、先生のこれまでのご経験から、異分野交流がどのようにして可能かを探るために、会を持ちました。
ご存じのように、2011年3月11日に起こったTEPCOの事故後、日本は大変な騒ぎになりました。日本は、3度の被爆経験で学んだことも多く、市民の監視の目も厳しいので、実際、私自身も日本で原子力発電所の事故が起こるとは思ってもいませんでしたので、大変ショックでした。さらに、その後しばらくして、地震や津波の被害もさることながら、そこで拡散された放射性物質がどのような影響を生体に及ぼすかという問題がにわかに大きな問題になってきました。ところが、それについては、政府の発表もマスコミをはじめとする様々な場での主張も、危険派と安全派に分かれお互いに検討する議論がないのです。ですから、市民は何を信じたらいいのかわからなくなってしまったのだと思います。こうなると、科学者の言うことを信じることができず、ひいては科学に対する信頼感もなくなります。科学を信頼することができなければ、デマや非科学的な迷信がはびこることになります。これは大変だと思いました。
こうなると、科学的根拠をしっかり評価し、数量的な議論も正確にすることが、科学者の責任であり、物理が頑張らねば、という思いがしました。ですから、今回の研究に入った動機は、これまでと異なり、科学的好奇心からというより、こういう事故を起こした日本の責任として何かできることをやらねば・・そう言う思いで、放射線の生体影響の研究を始めました。

Wada(以下「w」):全く同感です。

b:始めてみて思ったのは、この分野は関連する学会がたくさんあり、しかも大変細かく分かれているということでした。

(注(真鍋):少なくとも、私が参加したのは、放射線影響学会、放射線管理学会、原子力学会、数理生物学会、物理学会、遺伝学会、保健物理学会等の学会や研究会)

b:まぁ、もちろん生物物理学会も含めて。しかも、もうほとんど交流がないのですね。しかも、あんまり数値を示して議論するのが得意でないところがあって・・・。で、後でわかったのが、遺伝学会だけが木村資生やクマールらの影響だと思うのですけど。

(真鍋注:進化学会と遺伝学会は別。私が参加したのは遺伝学会。また、近藤宗平は生物物理学会に参加していた。別の言葉で言えば、近藤宗平しか参加していなかったとも言えます。)

w:私もそうだと思います。

b:ともかく、昔から蓄積されている有名なデータを見直して分析しようと、ショウジョウバエのデータから始めました。1927年のマラーのデータは、たった3点しかなかったのですが、ショウジョウバエの実験はこれを契機に大流行となり多くのデータが蓄積されました。自然突然変異が進化の原動力だということで、突然変異に大変関心が集まっていたわけですが、それが人工的なX線照射をしてみて、人工的にも実際に突然変異が起こることを示したのです。これは科学者にとってすごい発見だったわけですね。そしてマラーはノーベル賞をもらったのですね、彼は、モルガンの弟子ですね。モルガン自身は、市場のごみ置き場にハエがたくさん集まっているのを見て、これは、実験材料として使えると思ったそうですね。

w:はい、モルガンは分子生物学を開拓して遺伝子の地図を始めて作り上げた科学者ですね。もっとも当時はまだDNAの構造も分かっていないときでしたが。

b:それで、とにかく、ショウジョウバエにX線を照射して、その子孫(実際には劣性なのでF2でみるのですが)の突然変異がどれくらい起こるか見たのですね。これが、LNT(Linear Non-Threshold )という説明をなさるとき、放射線生物学の方々がいつも引用されるデータです。そのデータを見ると、照射した放射線のトータルな量、つまり総線量に比例して突然変異率が増えていくという結果でした。結果は総線量に比例する、つまり線量に線形だということと、その勾配は、線量率に依存しないで、いつも一定だという結果が示されていました。線量率に依存しないということは、ゆっくり少しずつ照射しても、一挙に大量に照射しても、総線量が同じなら同じだけ変異が起こるということになります。

w:そのグラフでは、データを結んだ線が原点を通らないという話がありましたね。

b:まあ、以前にちょっとお話ししただけなのに、肝心のところを覚えておられるのですね。そうなのです。原点を通らないのです。つまり放射線を当てなくても、けっこう、突然変異が起こっているのです。しかも、大体10Gy/yearグレイぐらいの一定の線量のガンマ線線量を当て続けた場合の変異の増加量と同じぐらいあるのです 。これに気が付いたときはほんとに驚きました。マミラー自身もこのことに気が付いていたようで「EVIDENCE THAT NATURAL RADIOACTIVITY IS INADEQUATE TO EXPLAIN THE FREQUENCY OF "NATURAL" MUTATIONS」By H. J. MULLER AND L. M. MOTT-SMITH」という論文を書いています。千倍から1万倍も大きいのですから・・・。マラー自身は、このことを当初はあまり強調していませんでしたが。その後彼自身は数奇な運命をたどっています。アメリカで、原爆実験なども反対の立場をとっていたし、初期からパグウォッシュ会議にも出ていた人です。でも、当時のソ連にあこがれて、一時(1933-1940年)、ソビエト連邦科学アカデミーなどで優遇されて研究したり指導したりしていたそうです。でも、実は、そこで、ルイセンコとミチューリン論争の真っただ中で、マラーはソ連の評価を変えたのだと思うのです。

(注:ここでは物理量を使っているが電磁波の場合ほぼ1Gy=1Svなのでシーベルトと読み替えてもほぼ同じ値である。)

w:ソ連に行って、いやになっちゃったわけですね、要するに。

b:そうですね。イデオロギーや政治で科学の真実を捻じ曲げるソ連が嫌いになった。それでまた帰ってくるのです。そして、ノーベル賞になった、人工的に突然変異が起こるというのを見つけたのですね。ですから、彼自身は、それで、ものすごい発見だったわけですが、ノーベル賞もらった1948年は、実験が出てから20年もたっていました。1948年というと、ビキニ水爆実験が1954年3月ですから、まだ核実験の被害について国際的な世論がそれほど世界に広がっていたわけではありませんが、とにかく、マラーは早くから核実験には反対していたようです。でも、マラーはノーベル賞講演で「生体への影響は線形リニアに増加しているから、放射線はちょっとでも、それだけ影響がある」と強調して話しています。ノーベル賞講演で、このことだけを強調して話したというのは相当なものですね。
ところでオークリッジは、戦中は原爆開発の拠点でしたけど。

w:そうでしたね

b:戦後、生物部門も新設して、総合的な研究所になったのですが、そこにいたラッセルいう人が、マウスで実験することを提案しました。マラーはそれには、「10万匹に1匹位しか突然変異は見つからない。それを実験するのは大変だ」といったようです。でも、ともかく、ヒトに近い動物実験をしたいというのは当然だと思います。ラッセルはそれを実行に移しました。マウスは、ハエと違って寿命が長いので(ハエは2-3 週間、マウスは2-3年)。ですから、かなり低線量率の実験も可能です。ハエなら低線量で照射したら影響が出ないうちに死んでしまう。しかし、この実験では100万匹単位のマウスの実験が必要で、「メガマウス実験」と呼ばれています。実際には大体700万匹ほどを対象にしたようです。しかも最初の方で見学に来た人が、「衛生状態を保っているか?」といわれて、またやり直したという経緯もあるようです。

w:想像を絶しますね、

b:はい。それで、10万匹に1匹位、突然変異の子孫が生まれるのを見つけたのです。当時はDNAも見つかっていない時代でしたから、表現型の変異で見分けるのです。例えば、マウスの目の色が変わるとか、耳の形が変わるとか、毛の生え方が変わるとか、です。当時よくわかっていた7つの表現型の特徴に着目して、子孫に出てくる突然変異を調べたのです。7つの遺伝子に着目したので、「Seven Locus Test(SLT)」と呼ばれています。結局、20年位掛かって結果を出しました。そして、線量率によって変異率は異なることと示しました。でもどういうわけか、線量率の変化についての定量的な話がそのままになって現在まで来ているのです

(理由としてはいわゆるThree man's paperで線量率に依存しない結果が出たことが大きいと思われる。Purdomもその結果に引きずられて実験結果を線量率に依存しないように解釈したと思われる。)。

b:それで物理屋としては、定量化してきちんと評価できるようにしたいなあ、とこの研究を始めたのです。修復効果を取り入れたモデルを作らないと、とやり始めて、はるか昔のデータを引っ張り出して、突き合わせてみたのです。

 

w:それをお始めになったのはいつ頃ですか?

b:それは2011年の事故の直後の議論からです。

w:その後ですね、わかりました。

b:秋頃にはモデルが一応できて、それで論文を書いて、線量率を変えると突然変異率は変化することが数量化できますよ、という話です。そしていろいろなジャーナルに投稿しました。しかし、生物系のところからは断られました。「too mathematical」などといわれて・・・・。

w:too mathematical って? え~。

b:え~って思いますでしょ?微分方程式を書いただけなのですが。微分方程式って学部の学生でも解けるような簡単なものだったのですが・・・。海外も含めて生物学者いうのはちょっとそういう傾向があるのかなと思いました。

w:あります、あります、

b:そこで物理のジャーナル(JPSJ)に出すしかないかということになりました。生物の知識がないので、語句の使い方が常識的でないと指摘されて、何度も修正して、一応掲載されました。それでも、掲載されたということで、少なくとも、物理系の方々には、多少評価する方も出てきました。物理学会以外の学会での発表もがんばって眞鍋さんがやりました。ある時、真鍋さんが、ある研究会に来て話せ、といわれて喜び勇んでいったのです。「小保方のようになってはいけないので一度話をきいて、意見を言わねばと思った」といわれたそうです。で、「学会でも発表しているのにどうして今まで意見を言ってくださらなかったのですか」ときいたら、「新参者がちょっとやって来ても何もコメントなんてつくはずない」といわれたのだそうです。次の研究会も声をかけてくれた人はまた連絡するってことでしたが、それ以来お呼びはかからないです。

(注:正確には勉強会に呼んでくれるはずだったが、その人が勉強会に相談したところ、「怪しげな説を唱える人」は参加させたくないと言われたため、後から丁寧に断りのメールが来た。その後2016年の放射線影響学会では「真鍋のようにモデルを作る人材がいないがどのように人材を獲得すれば良いのかが問題だ」と発言してくれたので、物理のモデルが必要だと認識はしてくれているようだ。しかし、その人個人の意見であり、学会全体に広がっている意見ではない。相変わらず個別の生物実験と疫学の重要性のみが重要と思われている。)

b:閉じた研究会科には普通よそ者は入れないのが普通らしいです。物理だったらそんなことはないんだけどね。

(注:物理以外の大抵の業界では「考え方の違い」で派閥が決まっており、お互いに議論をしない。実際の現象を再現できているかどうかで正しさが決まるわけではないようだ。そこにはいったん権威化したものへの盲信と批判が許されない空気の醸成が関わっている模様)

w:物理だったら絶対ないです。

b:誰が来ても、おかしいことはおかしいってみんなが言う。これは、すごいことなのだと思いました。私も、あれから色んなその研究会とか、放射線防護の集まりとか出ましたが、集まりごとで、その中ではほとんど意見が同じなのに驚きました。片方では、安全というのが根底にあって、反対側の意見は誰も言わない「危険だという意見もありますが、そういう方々に対して、一緒に議論を戦わさないのですか?」と聞いたら、「レフェリーも通ってない論文に、自分らが何か答える必要はない。議論する相手にならない」といわれるのです。一方、危険派は、「安全派は御用学者ばかりで信用できない」みたいな話になってしまうのです。

w:どうにもならん

b:これはもう科学者がこんなことでは、どうしようもないなぁと。

w:両方には物理屋はいないのですか?

(真鍋注:そもそもコペンハーゲンの影響を受けた仁科が帰国後最初に加速器を作った際に放射線をマウスにあててみてはどうかと村地孝一に提唱したところから日本の放射線生物学が始まっている。
(参照:https://night.nig.ac.jp/museum/material/moriwaki_list19.html)。
また放射線影響学会の重鎮だった近藤宗平は京都大学の実験原子核物理学の研究室出身であったし学位も理学博士である。菅原努も医学部を卒業した後大阪大学の理学部物理に再入学し、学士を取得している。このように村地孝一ら、放射線影響学会の初期には物理屋がいたが、現在はほぼ皆無)

b:あまりいないのです。

w:あまりいない。物理がそういう所に入らないとねぇ…。

b:はい、だから、別の視点でモノが言える物理が入っていかんとだめだと思います。

w:いかんですねぇ。

b:数量的にならないんです。で、どう違って何が原因でそうなったかっていう原因を探すにはどうしたらいいか、そこらあたりの議論をきちんとしないと話にならないのです。両方とも、何ていうのかな、固定概念があって、それ以上疑問を挟まではなくて、科学者が怠けている。市民のほうが、話が通じることも多いのです。市民のほうがまだね、市民で一生懸命にやる人のほうがね、まだ素直に分かる。

w:そういうこと、いっぱいあります。ほんとに。

b:それで、市民対科学者の間のコミュニケーションについてはたくさん研究があるのでは、科学者、学会間のコミュニケーションがどうなっているかということについて、もっと分析をしておかないといけないな、そちらのほうが、問題があるくらいなのに、真正面から取り組んだ研究がないなあ、やっぱりそれを調査しないといけないというので、今回の科学研究費のテーマが採択されたということです。

w:はい、よく解ります。

b:で、さらに、研究を始めてみて、大事なことに気が付きました。今は、様々な分野横断の研究プロジェクトもあるので、いろいろと出てみたのですが、正直言ってあまりまだ成功しているように見えないのです。もちろん、いろいろと学ぶところもあるのですが、やはり、それが何か原動力となって、力強く新しい研究が始まったという、そういうところまで行っていないですね。また、先日行われたJSTの「分野横断・・・」という会にも行ってみたのですが、色んな分野の人が来て話しするんですけど、「わかってくれへない」といった苦労話が多いんですね。結局、成功したという話はなかなか見つからないのです。それで、実は、これは、やっぱりねぇ、新しいことをやろうという人の問題ではないか、と思うのです。無理に異分野交流しても、そもそも動機がしっかりあって、しかも情熱と実力がないと成功しないですね。

(真鍋注:ある意味原子力が一番「成功」した分野横断の学会だったかも知れない。初期は物理学、機械工学、電気工学、化学の人々が集まって分野を真剣に議論していた。マンハッタン計画も多くの分野のポスドクを集めて実施された。
 坂東注:これは単に日本中に原子力という新しい分野がなかっただけで、横滑りしただけかもしれない。それは、できた原子力研究室が、新分野のけん引力になって発展してきたかどうかによっているの絵はないか。その意味では、各毛原子力研究室の発展とその、影響を調べてみる必要があるように思える。これも問う研究課題の1つである。)

 

w:う~ん、

b:今の私の意見はこうなのです。人の問題とはどういうことかというと、その人がどういう自然観を持って、そして、何をやろうとしているか? そのモチベーションがなかったら、いくら分野交流をやっても、新しいことは出てこない。そうすると、そのやっぱり、実際に切り開いてきた人の歴史を詳細に調査するというのと、一般の科学者の間で一般にどの程度、分野交流しているかというのを、アンケートで調査するという、この二つのやり方で攻めないとわからないだろう、と。で、今回は、ともかく新しい分野を切り開いた科学者、そんなたくさんいるわけではないのですけど、そういう科学者のヒアリングをしようということになりました。それで、まずは和田先生にお聞きしようと・・・。

w:それは光栄です。

b:ということで、やっぱり、生物と物理のカルチャーの違いとか、それから、その、最初挑戦を始めたとき、何がネックになったかというご経験をお聞きしたいと・・。

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