放射線生体影響に関する物理学、疫学、生物学の認識文化の比較分析

menu

研究者・専門家へのインタビュー(澤田哲生先生)

澤田哲生先生へのインタビュー 第1回 1/5

澤田哲生先生 プロフィール

専門: 原子核工学
東京工業大先導原子力研究所助教
1957年 兵庫県生まれ


序 澤田さんのご紹介

坂東 澤田さんは、京都大学理学部で基礎物理を学修したのち、㈱三菱総合研究所に入社して、独カールスル―エ研究所で客員研究員をされ、そのあと、東京工業大学原子炉工学研究所エネルギー工学部門に就職された。学生時代は理学部、そしてその後工学の世界に足を踏み入れ、そこで学位(工学)を取られたという経験をお持ちだ。そのときの論文は、「高速増殖炉の損傷炉心における溶融物質移動に関するモデル化と検証」だった。

奇妙な話だが、日本では、原子力研究と原子核研究は、お互いに関連している分野だと思われる割には、ほとんど没交渉であったように思われる。それは、歴史的にさかのぼれば、日本で原子力発電を導入する経緯を振り返ると納得がいく。実際、原子力の歴史は人類史の中でも、非常に特異な位置を占めてきた。

レントゲン・キュリー夫妻に始まる原子核エネルギーの発見は、間もなく始まったヨーロッパのファシズムの嵐の中で、原爆という形で、科学が戦争に大規模に利用された最初の20世紀の悲劇でもあった。この中で多くの科学者は、悩み科学の在り方を模索した歴史でもある。戦後も、米ソ対決の冷戦の中で原爆開発競争は続いた。原発実験が繰り返され、そして果ては、原爆より数千倍も規模の大きい水爆実験が行われると、科学者も人々も、人類の未来の問題として看過できないと、原爆禁止の世論が世界に広がった。その中で行われたアイゼンハワーの「Atoms for Peace」宣言により、原子力の平和利用の幕開けとなった。

戦後GHQによって、原子力研究が禁止されていた日本に原発導入の話が出てきたのもそのころである。一方、日本はビキニ水爆事件で3度目の被ばくを経験したのであった。

こんな中で、湯川秀樹博士をはじめ、日本の科学者は、原水爆禁止の願いを持っている科学者が多かった。日本への原発導入に対して、いろいろな議論が出た中で、湯川博士は原子力委員を引き受けられた。しかし、その運営に失望された湯川博士は、1年後には原子力委員を辞退された。こうした歴史にさかのぼると、原子力とは学問としてのつながりもないまま今日に至ったという事情があったのだろう。

福島TEPCOの事故以後、市民に「どうしてこんなに原子核科学者と原子力科学者が隔離していたのか」という声が多く聞かれたが、私自身も含めて反省すべき点があったと感じていた。

澤田さんはこの分野間の橋を渡ったお一人だと思う。このあたりの、分野の間のカルチャーの違いや、価値観の違いを、実感されたのではと思う。そうしたご経験と、現在の活動についてお聞きしたいと思う。

テクノロジーのとらえ方

坂東 特に福島第一原子力発電所の事故以降、原子力発電の安全性に対する信頼が揺らぎました。そのなかで、偏見や予断を排して、あらゆる人間の営みを支えるエネルギーのあり方について、いろいろなところで、発言してこられました。その思いはどういうところから出てきたのでしょう。

澤田哲生先生(以下「澤田」敬称略) 人類文明の未来を考えるとき、本当に原子力技術をここで諦めてしまっていいのだろうか。日本がそこに参画していなくていいのか・・・という思いがあります。地震と津波による全電源喪失。決定的なダメージを受けシビアアクシデントに陥った原発群、つまり福島第一原子力発電所の1~4号機ですね。その一方で、強大な地震と津波のストレスに耐えて、安全に生き残った原発がある。福島第2原子力発電所(1~4号機)、東海第二原子力、女川原子力の1~3号機。そもそも福島第一だって5、6号機は無事に生き残った。これらの事実は今や忘れ去られています。翻って、これらの事実は私たちに何を語りかけているのであろうかと思います。人間の文明の歴史は発明や発見とその新たな活用方法の創造に支えられ、その流れと共存してきたことが底流にあると思います。

坂東 なるほど。確かにそうですね。

澤田 このような流れがテクノロジーの歴史などですが、うまい日本語がありません。しばしば科学技術とされますが、テクノロジーは科学のみでも技術のみでも、またその合わさったものでもないでしょう。宇宙の開闢時には放射線しかなかった、そこから物質が生まれて、やがて情報が生まれた。ここでいう情報とは二重らせんに仕込まれた遺伝情報の事です。この流れを駆動しているのがテクノロジーであって、そのなかに原子力もあると思うのです。20世紀半ばに人類が核分裂に出会ったのはそのような流れの中での出来事だったと。

坂東 安全についてはどんな風に考えてるんですか。

澤田 あらゆる技術はこれまで数限りない失敗を繰り返し、その度それを乗り越えることでここまで発達してきたと認識していますよ。
アリストテレスはその著書『自然学(Physics)』の中で偶発性(事故)が普段にはみえない本質を顕にする。その本質に未来があるというような趣旨のことを言っています。
そもそも核分裂は自然の原理そのものです。〝核分裂エネルギーとは重力の缶詰である〟というのは佐藤文隆さん(※)の見立てです。そこに私たちと宇宙の歴史をつなぐ物語があると思います。そしてこの缶詰から得られるエネルギーは、他の手段では代替できない量と質を持っている。長崎で被爆した永井隆博士が望んだように、これからも人間社会に多大な恩恵をもたらしてくれることは明らかだと思うのです。それゆえ今日でも多くの国々が原発の導入や増設計画を進めているのですね。私たちの使命は今回の事故を真摯に反省し、その原因を徹底検証して安全性を確保し、その成果を世界に発信して行くことであると認識しています。それこそがテクノロジーだと思うのです。テクノロジーは進化圧のもとにあります。イノベーションの圧力とも言えます。要はその進化圧と共生するかどうかということではないでしょうか。
問題は、日本のアカデミアは専門分野に細分化していて、相互乗り入れはほとんどないし、ましてやテクノロジーを俯瞰するような研究はなされていない。日本の学術の閉塞の一因はそこにあるのではないでしょうか。

※ 佐藤文隆 宇宙物理学者・理論物理学者、京都大学名誉教授

研究資金の構造

坂東 なるほど。では問題の断面をもう少し身近なところから見ていきませんか。単刀直入に分野の違いということを、研究費獲得の相手によって分けてみると、文科省は、そもそも科学技術庁と文部省が合体してできたのですが、文部省関連の日本学術振興会(JSPS)の科学研究費にくらべて、科学技術庁系の科学技術振興機構(JST)の資金は額が1桁は違いますよね。また、他の省、経産省、環境省や厚労省と比べるとずいぶん研究計画の評価の仕方なども異なるような気がしますが。

澤田 そうですね。後者のほうは、こういうのはあらかじめ想定された重点的なテーマがありますね。それに計画のグランドデザインを決める際に、ちゃんとした受け手候補が無いようでは、割り当てられた予算を執行できなくなるという大問題が発生してしまいます。
そもそも科学技術関係の研究のトップとしては科学技術・イノベーション会議が重点分野をきめていますね。同様の構造が末端にも及んで行きます。日本の科学が伸び悩んでいるのは、そういう構造というか決め方に問題があるのでは無いでしょうか。仮に分野別ボスが錆び付いたアタマでコミットしているとすれば、未来は暗い。第一ですね、予算の使途が計画時にかなり細部までガチガチに提案して、その通りに実施しないとなかなか大変なことにならないでしょうか。私はもちろんトップダウン的な研究を否定する気はさらさらありません。しかし、ボトムアップの研究にも光が当てられるべきだと思っています。

坂東 どうもね、それは文科省関係と違って、とても厳しくて、「この目的で」となったらそれしかダメなんですよ。松田卓也さん(※)が言われていたのですが、科技庁関係のJSTでも、そのファンドはどっちかというとその目的にしか使えないんですよ。文科省の科研費はJSPSからでていますが、それとはやはり違うんですよね?科研費は、こういうことをやっていたけどこっちの方が重要だと思うから転換するなんてのが許されるわけで、それが普通は科学研究なんですよ。未知の問題にアタックすることは、「わかってることをやる」のとは根本的に違うんですね。だから将来のことを決めてしまうというのは、目標を立てるだけで、取り組んでいる間に代わってきて当然ですから、初めから決めた路線だけを追求するのは、何の意味もないんですから。

※ 松田卓也 天文学者・宇宙物理学者、神戸大学名誉教授

澤田 そう。文部省以外は研究というより事業的な色合いが強いんですよね。出発点があって到達点があってその通りいってもらわないと困るというわけですよ。これですとね、あらかじめ予定されたイノベーションしか許容されない。でもイノベーションて実は偶発性のものでしょう。最初から答えがあるわけないでしょう。そこにチャレンジすることをもっと奨励するべきではないでしょうか。

坂東 そうなんです。だからそういうことをやっていたら、新しい事なんてできないんですよ。まあそんなこともあったので、やりにくいなあとは言ってたんだけど、科研費と違って大きいんですよ。文科省の科研費とはちょっと違うわけですよ。

澤田 予算のつけ方、お金の回り方にもう少し創意工夫があっても良いのではないかと思います。

坂東 しょうもないなと思うんですけど仕方ないですね。澤田さんの企画しているものは、どういうところから資金を獲得しているのですか?なかなか資金が取れないのでしょうね?

澤田 いろいろなところに出して、とにかく企画を進める必要があるので、何かの形で資金を集めないとならないと思っています。省庁の公募にもあちこち提案しましたが、なかなかうまくいっていません。当面、残された道は世間の厚意に頼るとかですねー、いわゆるクラウドファンディングですね。
あ、そういえば早野龍五さん(※)はクラウドファンディングがうまくいっているとおっしゃっていました。

※ 早野龍五 原子物理学者、東京大学名誉教授

坂東 澤田さんの場合、いわば子供の教育の一環という面もありますから、JSTの中で適当なものがないんですか?

澤田 わかりません。もちろん探しに行きますけれど。実際に白熱教室(※)に参加した高校生たちは、そのやり方がわかってくるととても面白いと楽しんでくれて、結構やってほしいという声があるんですよ。でも先生たちはね、なかなか苦労されていますね。学校の考え方も様々です。ただし、今文科省がアクティブ・ラーニングを推奨していることは福音です。現場の後押しになっています。

※ 白熱教室2016@東工大『甲状腺検査って・・・どうなんだろう?』 白熱教室の様子はこちら

坂東 それですね、学校では決まったことしかできないみたいなのがあるんでしょうね。

澤田 そうですね。しかし最近は必ずしもそうでもないような学校もあることがわかってきました。ガチガチの受験校などはむしろ柔軟性に乏しいような傾向があるかもしれません。学校の中も、SSH(スーパーサイエンススクール)とかSGH(スーパーグローバルハイスクール)とかね、そういうプログラムに採択されていると、そこと協調的にやっていけるケースがあります。

次ページへ