放射線生体影響に関する物理学、疫学、生物学の認識文化の比較分析

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研究者・専門家へのインタビュー(松田尚樹先生)

松田尚樹先生へのインタビュー 2/6

民間企業での研究から大学へ

角山: せっかくそこまで鍛えられたのにドクターには行かなかったんですね。

松田: それは僕は新聞記者になりたかったし、もともと科学者になろうとは思っていなかったのでね。それとM2(修士二年生)の時に父が亡くなって、それで僕自身もM2のときにバイクで交通事故を起こしましてですね、それで2年間入院したりもしたんです。それで親は死ぬし自分は2年間ぷーちゃん(失業)するしで、あまりにも親不孝すぎるというので、サラリーマンになりましたね。

角山: 当時、就職というのはすぐに決まったんですか?

松田: 丁度そのころ細胞工学がどんどん広がってきて、それでインターフェロンを作るという時に、最初に始まったのは細胞で作らしたんですよね。今はもう全部遺伝子操作でつくりますけどね。それで丁度その移行期にあったものですから細胞をやっていると結構あちこちで需要があったんです。ぼくがなぜサンスターに行ったかというと,サンスターもインターフェロンをやっていたんです、実は。

角山: 研究職としていったんですね。どこのサンスターですか?

松田: 高槻です。あそこにちゃんと本社の研究所があるんです。そこで12年いましたね。ただ途中2年間アメリカに行かしてもらっていたので実質は10年ですね。

樋口: その時は放射線には関わっていたんですか?

松田: いやまったくですよ。会社なのでいくつかプロジェクトで研究するので、歯周病と虫歯が対象なんですよ。僕は歯周病のほうで、歯周病というのは病原性細菌なので抗生物質が使えるんです。それで局所に投与できるのではないかというので、そういう薬を作ったんですけどね。その時に、テトラサイクリング系の抗生物質なんですけど、これは菌も叩くんですけど、コラゲナーゼという菌が出して組織を破壊する酵素も阻害するんですね。そっちもやっていたのでRIが必要だったんです。それをやるときは岡山大学とか徳島大学とかの歯学部にいってRIを使わせてもらってね。

角山: それはある意味順風満帆な研究職人生に見えるんですけど、なんでふらっとこちらへ戻ってこられたのかなと思いまして。

松田: アメリカへ丁度行ったときに、まだ完全には薬はできてないんですが、歯周組織を再生するという薬を考えていて、今ならいiPSを使ってできるしやっているところもあると思いますけど、僕らも歯の周りの組織にもマルチポテンシャルな細胞組織があるに違いないということでね、残念ながらぼくらはそれを見つけられなかったんですけどね。ただそういうモノを刺激してやって、修復のほうに向かうだろうという発想でずっとやっていたんです。それでその考えでアメリカに行って、そこで2年間ほどやらしてもらって、基本的には会社だから、そういう活性化するようなモノを見つけようということになるんですね。当時はまだわからないグロース・ファクター(成長因子)がたくさんあったので、これとこれの組み合わせが効くとか、骨成分化誘導のメカニズムとかをやって、そのころの論文が一番引用数多いですね。それで日本に帰ってきたんですけど、やはりサンスターも12年もいるとマネジメント的な仕事も増えてきて、だからもう少し何かしたいなと思い、やりたいこともあって、歯とか骨というのは常に力が加わっているじゃないですか、よくメカニカルストレスと言うんですけど、メカニカルストレスに細胞がどう応答するのかなというのに興味があったんです。それで会社を辞めて、当時のJRDC(新技術開発事業団、現JST(独立行政法人科学技術振興機構))にいって、そのころあの悪名高き渡辺先生が長崎大学で薬学の教授でおられて、「研究室の立ち上げだからそっちから一人よこせ」と言うので、それで僕が行くことになったんです。それで研究室はここではなくて、大村っていう空港の近くのレンタルラボを借りてそこで2年半やっていましたね。全く新しい部屋に実験器具を一から置くところから始めて、面白かったですよ。立ち上げはおもしろいですね。

樋口: その新しいラボの立ち上げというのは何が大きなテーマなんですか?先ほどのメカニカルなストレスに対する運動に興味があったとおっしゃっていましたけど、また放射線の方に戻ってこられたのですか。

松田: それはストレスなんです。細胞のストレス応答機構を見ていると。僕はメカニカルストレスと、学生時代にやっていたので紫外線もやろうと。他の人は例えば肝臓の細胞を使っていた人もいましたし、逆にストレスを細胞に与えることで有用な物質を出す、例えば膵臓の細胞を上手く三次元的に培養してやると、パンクレアチンをいっぱい出すとかですね。普通の培養では出せないものを、ちょっと変わったストレスを与えると出すようになるとかですね。そんなようなことをいろんな人と一緒にやっていました。面白かったですね。

坂東: ストレスがダメージを与える場合と、再生させたり修復機能を活性化させたりするのですね。

角山: それでその後どうして(長崎大学の)RIセンターに行ったんですか?

松田: それはプロジェクトだったので、五年たったらまたどこか探さないといけなかったんです。それで途中でたまたまここの助教授が空いていたので公募でね。まあRIは使っていましたしね。管理はしたことがなかったけれども。

角山: じゃあ安全管理のことをしっかり勉強したのはここに就職してからですか?

松田: そうですね。まあでもここに来ても5年ぐらいは何もしていなかったですけどね。着任しても他の助教の先生とかスタッフができあがってましたし、僕は何もしなくても良いのかなとおもって研究だけしてましたね。

樋口: 当時RIはどんなふうに使われていたんですか?

松田: 97年に来たんですね。全盛期から考えるとちょっと落ちかけぐらいですね。

角山: 基本は生物屋ですか?

松田: 完全に生物屋です。まだシークエンスやっている人もいましたし、ノーザンブロットは普通にやっていました。


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