放射線生体影響に関する物理学、疫学、生物学の認識文化の比較分析

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研究者・専門家へのインタビュー(安斎先生)

安斎育郎先生へのインタビュー 6/6

ジェネラリストとして

角山: 先生は今で言う学際的な立場だと思うんですが、今の放射線影響学だったりとか放射線生物学だったりとか、ぼくは人体影響に興味があるので、人体影響の純粋な科学者とか研究者に対するお考えはお持ちですか?

安斎: 放射線影響学は影響学としてあらゆる生命体に対する影響はどうかという事実関係をそれこそ「隠すな、嘘つくな、過少過大評価するな」をきちっとやらなければいけないし、福島の現場では僕は原子炉建屋があってその周辺はすべての放射線物質を埋めて屋根の上は太陽光発電施設にするようなことをやれって事故の2ヶ月ぐらいから主張していて、近いことをいま大隈双葉でやっているけど。その外側は、福島の人にもいうんだけどせっかく汚染しちゃったので低レベル放射線影響研究エリアを作ってね。だってあんな汚染地域作るんだったら何百兆円あったってたりない。

角山: 富岡町で、なんで国有地にしなかったのかと役場の方に言ったんです。「失礼だけどもここは国有地化したら財産になる、ゴミ置き場じゃない。研究の場所にもなる。」と。そうしたら役場の方は「当時そんなこと言われたらもちろん腹が立ったが、今ならわかる。」と答えてくれました。

安斎: 低レベル放射線影響研究の観察エリアをつくってその外側にノーベル賞級の低レベル放射線影響研究所を国立で作ってその隣に新エネルギー開発を含めてそういう技術研究所を作り、災害博物館をつくって安斎育郎を館長にすれば尚いいとかね(笑)。要するに後ろばっかり見てないで起こってしまったことに対してはやっぱりきちっと向き合えば自ずからそういう発想はあり得ると思っているんだけど。だから放射線影響研究はあそこを拠点にやるんなら、あんなに広大な地域が汚染するなんて事例はめったにないわけで、考察対象としては、「モルモットにする気か」という言い方で反発する人もなくはないけれども、それはそれで大事なんだけど。それと放射線防護学はやっぱり影響学とは切り離して、放射線防護学は低いにこしたことはないということを踏まえて、実際にどうやれば低くなるのかということ言って、実際に起こっていることを見てどれぐらいリスクがありますかといわれたら放射線影響学の知識を使って「この程度です」っていって。それで僕は自然界でどこに住んでいるかによってリスクが変動するので、自然界のリスクの変動幅のなかに含まれる程度の放射能汚染なんかは気にかける必要はないんじゃないですかと言うんですけどね。

 

中尾: 今放射線防護学と放射線影響学の違いについてお話していただいて、防護学の方がプラクティカルな学問で、影響学の方は純粋な科学のような認識でいいのでしょうか。すごくわかりやすいです。

 

安斎: そうです。それをごっちゃにしてしまうとやばい。このまえここであるドイツ人と話をしてたんですけど、たまたま来ているご婦人で。疫学研究者らしいんですね、で僕が福島に行っているという話をしたら自分も連れて行けということで来たんだけど、話しているうちに放射線影響学で植物にどういう影響があったのかを調べたいというのが本筋みたいで、僕が今度福島の保育園にいくから一緒にいくか?っていったら「私はキンダーガーデンには一切興味がない」って(笑)。だから我々はそこに住んでいる人が不安を持って、ホットスポットなんかが福島から60キロも離れたところでもあるなかで、それを見つけてどうすればいいかっていう放射線防護学の実践的な立場でいくんだけど、そういうことには関心がないっていうんで。他の人に連れていってもらうように、名古屋大学の誰かをあたってみるとか言っていましたけどね。

 

角山: 先生のお立場がクリアになってきました。

 

中尾: 安斎先生から見て今信頼できる放射線防護学者というとどんな方がいらっしゃいますか?

 

安斎: あんまりもうそういうことにも興味がなくなって、自分ができることは何かってやっていて(笑)。この人たち〔注:一緒に福島に通っている福島プロジェクトのメンバー〕は放射線防護学者ではないですからね。これは桂川秀嗣というのが核物理学者で原子核工学です、これはどちらかというと教育学ですね、これはエンジニアですよね測定器作っている会社のエンジニア。たまたま彼らが開発したこれを担いでいくとたちまち地図の上にどこがどれだけ汚染されているかということが数値と色分けでが出てくるので、直ちにわかるので、それを便利に利用させてもらってやっているので。基本は実態を調べてどれぐらいのリスクかを見立てた上で被曝をなるだけ少なくする努力を実践的にやってみてこうすれば良いでしょうねという提起をすると。

 

角山: これはただ全体的にこの辺の区域の空間線量値を測っているわけですね、それでもっとありそうだなと思ったらサンプリングして測っていると。

 

安斎: そうです。土をはかったり水を採取したりね、食物を測ったりいろいろやっていて。まあだからこういうことを続けて京都の安斎さんは年間これぐらい浴びてますと。これは人によって、例えば山菜採りを業としているような人は放射能の高い山に入っていって松茸とか取っているからちょっと高いけど、それでも福島のひとでも2~4ミリシーベルト毎年の間にもう収まっているな、だいたい。原発労働者が今10数ミリシーベルトぐらいかな。

 

角山: 外部被曝の評価ですか? 

 

安斎: 外部被曝と内部被曝を含めてね。福島の人、内部被曝はそんなに高くないですね。一般に売られているものはそんなに検出されないし。外部被曝が優越していますので、測ってみればだいたいわかるんですけどね。まあ人を説得するということは、放射線の分野は特に難しい気がしますね。低いってことを自然科学の名において保証してみても安心しないという。どうすればいいのかっていうと、大変ですよ。

 

中尾: この本ですね。『原発事故の理科・社会』を出版されたのもやはりそういった伝えたい気持ちで、他のたくさんの本もそうですし・・・

 

安斎: やっぱりね、理科ばかり勉強したがるんですよ。事故以来講演に呼ばれていくとに、低レベル放射線の話やガン当たりくじの話もお伝えするけれど、この国が原発だらけになってしまった歴史的経過についてはあまり好んで学ぼうとしてくれないみたいなので、理科よりむしろ社会科が大事だということでその本を書いたら、野口君たちがその後「放射線被曝の理科・社会」という本を出して、「お、ぱくったな」と思ったけど(笑)。まあ本当のはなし、理科にばかり目を向けて、しかも放射線影響学の低レベル放射線の閾値がない話ばっかり目を向けていくと、止めども無くはまっていって、悲しくなっていって、展望が開きにくいんじゃないかという気がしますけどね。そこで受け入れる基準に僕がしているのは自然界の変動ぐらいの範囲に入る程度のものはそんなに気にしないでいいんじゃないですかという。だから「安全」とか「安心」とかいう言葉は使わないで。我々普段この程度だったら受け入れてますよね、と言って。で、ヘルシンキから大阪に帰ってきた時の飛行機で、放射線を5分おきに10時間寝ないで測ってたんだけど、そういうデータを示したりしてね、言うんですけど。それは分かるけど、やっぱり嫌だっていう人がいっぱいいますよね。さっき言ったように、福島に生きていること自体が重苦しくて嫌だというんで生活意欲毀損効果というかね、罪深いね。教育も定かではないうちにこんな事故が起こっちゃった、起こしちゃったというね。

 

角山: ちょっと難しいテーマかもしれませんが、科学者、学者にかなりのものをこの原発事故の後に市民から要求があったりなんかして結構自分の専門外のことも正義感からか言ってしまう人たちもいて、例えば物理の人が放射線影響の話をしてしまう。本当はDNAのことも知らないはずなのに何かちょっと危ないとかいう主張をされたりとか。やっぱりそういうのがまた広がっていく状況で、リスク判断は学者がするべきものなんですかね?政治判断というときも学者の意見を聞くんでしょうけど。この事故の後、例えば山下俊一先生は御用学者だとか、学者個人に責任をなすりつけるような風潮がこの国にはあって、それがものすごく僕は違和感を感じるんですが、一方で先生は暗に政治闘争ではないけれども、ジェネラリストとして政治にも立ち入ろうとされた方なので、そのへんの距離感というのはどういうふうにお感じになりますか?

 

安斎: やっぱり60年代後半の、だから20代後半ぐらいにそういう科学と社会の問題として考える機会があったからだんだんそういう目が培われていって、それでこの国の原発政策についてはとにかく科学技術の問題だけでなくて、ある町に原発を導入することになったらどんなことが総合的に起こるもんかというのを、住民に問い詰められて答えられなくなって勉強してそういう目を培ってきて、その根底の理不尽なことをやっている国の原子力政策そのものをやっぱりなんとかしないと、放射線防護学者としてちまちまやっていても、僕の研究なんて最もちまちまして内部被曝の計算の不確定性の解析とか、そんなことやってたってね。それからいろいろ考えるようになって例えばマンハッタン計画でサミュエル・コーエンていう科学者がいて、これは後に中性子爆弾というのの小型水爆で、普通の核兵器というのは普通の爆弾を大きくした形で爆風と火災で大量に人を殺すと。放射線は望まれない副産物なんですよね、普通の核兵器の。だけど中性子爆弾だけは逆で、爆風や火災を極小化して、放射線によって人を炙り殺すという、Radiation enhanced weaponっていうのがあって。それを開発したサミュエル・コーエンが記者会見で「この爆弾は爆風によって手足をもぎ取るわけでもなく、熱線によってやけどを負わせるわけでも無く、放射線によって静かに敵兵を殺すだけだから人道的な兵器だ」って言ったんですね。科学者もそうなるかと思って。フォン・ブラウンが死んだ時の記事に、戦前はナチスのためにV2を開発して、戦後はケネディのために対ソ戦略兵器とかアポロの開発で指導的な役割を果たして死んじゃったんだけども、彼はその記事にあったところによると「技術はなんのためにあるか、そんなことを考える暇があったら計算用紙に取り組んだという人である」と書いてあってね、そうなるのは危ないなと思った。いわゆる科学者というとね、一途に真実を求めて突き進めていくようなイメージがあるけど、それはやっぱりスペシャリストになるのは危ないなと、70年代から僕思い始めてたことは確かですね。で幸いスペシャリストになる道を閉ざされたから(笑)。

 

角山: やっぱり先生の立場から言うと、この国に必要なのはジェネラリストをもっと増やすということになりますか?

 

安斎: そうですね。教育でも早々と物理専攻とかに分けてしまって大学でもものすごい細分化されていくということ自体はそうとう問題で、それならそれできちっと科学と倫理という話もきちっと全ての学科で必修にしないといけないんだろうけど。

 

中尾: まだまだ聞きたりないのですが、そろそろ時間になってしまったので、これでインタビューを終わりたいと思います。今日は大変貴重なお話を聞かせていただいて本当にありがとうございました。

 

インタビュー日時:2018年3月7日14時~16時
場所:立命館大学国際平和ミュージアム
聞き手:中尾麻伊香、角山雄一

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