放射線生体影響に関する物理学、疫学、生物学の認識文化の比較分析

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研究者・専門家へのインタビュー(安斎先生)

安斎育郎先生へのインタビュー 3/6

保健物理協議会

中尾: 学会とかはどういったもの入られていましたか?

安斎: 学会はね、当時は日本に保健物理協議会というのがあったんですね。保健物理というのはヘルスフィジックスという英語を直訳したんだけれども、アメリカのマンハッタン計画(原発製造計画)で放射線とかつくとやばいことやっているというのがばれちゃうから、保険のことを物理学的な手段でやっているということにしたんですね。ヘルスケミストリーという学問もあったんですよ。でも生き残ったのは保健物理学という名前で、日本の動力炉核燃料開発事業団の安全管理室の関係者とかがアメリカに行って学んできたから、保健物理学というのをひっさげて帰ってきて、日本保健物理協議会というのがあったんですね。学会と名乗るほどまだ学問的に専門化してなかったんですけど、東京電力の人も入って協議会をやったんです。そこが主たる場で、あとは産業医学界とか公衆衛生学会とか、僕の卒業論文は公衆衛生学雑誌に2度に分けて掲載されたんです。ふつう学部の卒業論文なんてのはどこにも載せないかもしれないけれども、公衆衛生教室の勝沼春雄教授が教室主任をやっていたこともあって、公衆衛生学雑誌に出してやるというんで(笑)、「原子炉施設の災害防止に関する研究」というテーマの論文でしたけどね

中尾: 保健物理協議会で雑誌を出したりはしていたんですか?

安斎: 雑誌は保健物理協議会では会報みたいな感じで最初は出ていて、やがてこれは面白いことだけど僕が虐げられていた70年代に金がこないので結構理論的な研究をやってずっと発表していたんだけど若手の研究者に人気があって、日本保健物理協議会の役員の選挙では非常に上位で当選して、うちの僕の教授よりも上位で、3位ぐらいで当選してしまうと、総務理事かなんかをしなければいけないんですよ。だから学会にいくと三役の席に僕が座っていて、僕をいじめている先生が平の席にいたりして(笑)機嫌悪いよな、かえって。

 

角山: 協議会で評価されたのは、これ [注:学位論文] の延長の理論研究なんですか?

 

安斎: そうですね。外部被曝と内部被曝の解析ですね。

 

角山: じゃあドシメトリーの後にどうやって影響とマッチングさせるかということですかね?

 

安斎: 内部被曝というのはものすごく難しい話で、口からどれだけ放射性物質が入ったと言ったって、人によって代謝も違うし、臓器の大きさも違うし、内部被曝線量を計算するなんて言うのは離れ業みたいなもので、今の知識を使ったって10倍ぐらい人によって違いますよ。

 

角山: 例えば今の換算係数とかはそんなにたいしたものではないという先生のお考えですね?

 

安斎: だからあるときに僕は、干されていたとき、東京都監察医務院というところに行って、そこは生き倒れなどで死んだ人の解剖データが全部残っているんですよ。それを写しに行ったんですよ。身長、体重からなにから全ての臓器の重さも写してきて調べると、脾臓の大きさなんてもう人によって何倍も違うんですよ。それによって内部被曝を計算するけど、最後に臓器の目方で割らないといけないので、1gあたりにどんだけのエネルギーが吸収されたかなので、そこまで一生懸命やってきても最後に臓器の目方何gで割るかによって、すごく答えが違ってくるんだよ。臓器の目方なんて外からは分からないですからね。だから内部被曝というのは1桁ぐらい容易に違うんですよね。まあそんなようなことを研究やってきて、これをやっているときに僕は学会にしようとしたんですよ。日本放射線防護学会と名称を変えたらどうだって。協議会から学会にしたらいいのではないかと言ったら、やっぱり電力会社などからは反対されたんです。放射線という言葉が入っているとか、防護というと危険な印象を与えるからと言ってね。それで保健物理協議会というほんわかとしたわけわからない名前の方がいいわけで。僕はアンケートまで取って、こっちのほうが若い人には支持が多いと言ってだんだけど、未だに協議会が学会になっただけで日本保健物理学会なんですよね。

 

中尾: それを提案してダメになったのが70年代の半ばですか?

 

安斎: 70年代。僕が事務局長をやっていたのが何年間かあるんですが、東京電力は会員がいっぱいいるから必ず当選して副会長にはなる。星野さんという人が僕のことを「名事務局長だよ」と褒めてくれたことがあったけど、面白かったのは『原子力工業』という雑誌があって、そこの編集後記に会長が黒川良康動力炉核燃料開発事業団安全管理室長で、僕が総務理事兼事務局長やっていたときに、編集後記に会長が推進派で事務局長が反対派で大丈夫かっていう(笑)、そんなんふうに世間は見ていて、学会に行くと若手なんかは僕のことを一定程度支持してくれたんですけどね。

 

中尾: 懐の広い学会ではあったということですかね?

 

安斎: まあそうですね。

 

角山: 先生、その時に原発に反対だというメッセージ出されてたわけですか?

 

安斎: 実際にやっていることは、地方に住民たちに呼ばれて行くと原発反対運動やってる所に行くわけだから、それは明確に反対派なんですよ、それは。

 

角山: 学会の発表の内容を聞くと、決して反対というわけではなくて、ちゃんと具体的に真実を議論しようということをされているのに、学会組織からは反対派として捉えられるんですね。

 

安斎: 使うなら前提としてこういうことが必要だと言うことを言っているんです。若手の人で公立の研究所あるいは原子力研究所なんかにいる人はあまり偏見持っていないんですけど、電力会社関係の人は実業界の人々を中心に安斎はとんでもないやつだという雰囲気になって。

 

中尾: ただ安斎先生自身もそういった住民との対話で反対派に自分自身も意見としてはなっておられたんですか?

 

安斎: だからそれは放射線防護学だけの話ではなくて、言ってみれば土地の買収がどんなにひどいやり方でやられているかね、知見者がいない留守を狙っていってじいちゃんばあちゃんに判子を押させたりね。だから6項目の点検基準というのは非常に広範で、6番目が全部を支える意味での原子力行政の民主的原子力行政が保証されているかどうかも含めて総合評価として明らかにこの国は落第だって言っているんですよね。恩師などが目の前にいっぱいいた学術会議で言ったので、そりゃあまあ嫌われるのはいいんですけどね。

 

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