放射線生体影響に関する物理学、疫学、生物学の認識文化の比較分析

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研究者・専門家へのインタビュー(有馬朗人先生)

有馬朗人先生へのインタビュー 第2回 (1/2)

国立大学の法人化について

澤田 JCO事故の時のことについて、福島とは規模が違いますが、そのときの体験を聞かせていただければ。

有馬 どうして文部大臣になってしまったかという話はしたよね?日本の教育そのものを良くしろと。そういう意味では小学校中学校高校はすごいんだよね。義務教育にしろ私学にしろ、非常に良くやってくれていると。この前も話したけど、GDPでみると日本ほど教育に金を出さない国はなくて、小中教育だって2.7か2.8%でね。驚くぐらいですよ。高等教育は0.58%ぐらいにすぎません。私が東大総長だった頃はもっと悪かった。そういう中で小中高の先生は偉いと思うんだよね。自腹を切って百円ショップに行って実験器具を買ってでもやるわけだよ。
 15歳の人々の科学リテラシーの国際比較PISA(※1)を2000年に始めてやったのです。その時は30ヶ国が参加しました。その後日本の順位が「落っこちた落っこちた」って言うけど、参加国が増えた分落ちるのは当然です。その成績の絶対値も少々落ちているんだけど、それにしても順位が少々下がったのは競争相手が増えたということをちゃんと理解して、ほんとうに大変かを調べるべきなんです。特に新聞やらは良いことがあっても褒めないのに、悪いことがあるとすごく怒るんだよね。それで高校生の学力がどんどん落っこちたって言って、日本の初等教育を批判したのです。でも、PISAにしても、小学生中学生の理科と数学の国際比較TIMSS(※2)にしても、日本、シンガポール、韓国、中国など常に1番から5番以内に入っています。それと、文部省及び文部科学省が1980年頃から行ってきた学力調査(現在の「全国学力・学習状況調査」)の過去問と近年の問題で共通するものを比較すると、1980年頃から比べると今の方が正解率が高いのです。特に、2次方程式の正解率が現在の方がずっと高いのです。

※1 PISA  Programme for International Student Assessment、OECD(経済協力開発機構)学習到達度調査のこと。義務教育修了段階(15歳)において、読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの3分野について、身に付けてきた知識や技能を実生活の様々な場面で直面する課題にどの程度活用できるかを測る調査。日本では高等学校1年生が対象。2000年から3年ごとに実施。調査結果はこちら
※2 TIMSS Trends in International Mathematics and Science Study、IEA(国際教育到達度評価学会)による国際数学・理科教育動向調査のこと。初等中等教育段階における算数・数学及び理科の教育到達度を国際的な尺度によって測定し、学習環境条件等との関係を分析する調査。日本では小学校4年生と中学校2年生が対象。1995年からは4年ごとに実施。。調査結果はこちら

 私はゆとりを持たせて広く勉強させようと言ってきました。要するに、あまり極端に受験勉強みたいな覚えることばっかりやるんじゃなくて、覚えたことを応用する力、独創性を養成しろと。それが私の一番言いたいことで、実は昔から教育の原則って言うのがあって、その一つは自ら調べ自ら学ぶ事なんだよ。それがあって、やっぱり自分で調べて自分で伸びていくように教育しろと。自発性を養成しろと私は言い続けているのです。その中に総合学習の時間を使って、総合的に数学を勉強したら物理も応用せよと言うわけです。微分積分なんてまさに力学を学ぶときに必ずいるんだよね。そうしないからね、今の日本は「力とは?」って聞くと「質量×加速度」って言葉で言うんだよ。物理と数学を結びつけるように教えればいい。一つの学問で終わらずに他の分野に繋げるような事をやれば、日本人にはほんとうは学力があるんだから。より広く総合的に教育をやれという風に言ったんだよ。ところが今言ったようにちょっと学力が落っこちたと言って大騒ぎして、それでまた文部省も当時文科省になってから慌てちゃって、それで総合的学習の時間を減らしていった。そういう形でいわゆるゆとり教育への批判に答えたんだね。

画像引用元:国立教育政策研究所「PISA2015年調査 パンフレット」PISAに関係する調査報告書等はこちら


有馬 もうひとつのポイントは、そもそもあんなに先生たちに大変な努力を強いるだけじゃなくて、もっと経済的にも給料の問題もあるけど、初等教育にしても特に高等教育がひどいもんから、教育予算をもっと増やせと言い続けているのです。もうあんまりにも強く言っていたから、「だったらお前がやってみろ。」というのでなっちゃったんです。そういう経緯でしょうがないからやることになってしまったのです。文部大臣になって少し経って省庁再編成の話になっていたから、そもそも省庁再編成のときに私はずいぶん当時の総理の橋本さんの手伝いをやらされて、特に科学技術の面はどうすればいいかっていうので橋本行政改革会議でさんざんやらされたんだよね。そのときに国立大学を法人化するっていうので、馬鹿なこと言うなと。それよりもちゃんと金を出せよと。要するに国立にも公立と私学にももっと金をだせと、そういう話をしていたんですよ。

 そういうことがあって、けっきょく文部省と科学技術庁がくっつくことになったので、おまえその文部大臣と科学技術庁長官を併任せよっていうことで1年ぐらい併任することになるんだよね。そのような経緯でいろんなことをやったんだけど、その中で一つやられちゃったことは、要するに小渕内閣というのは負け戦の上に立ったような政府だったんだよ。ようするに少数与党なのよ。何をやるにしても野党がノーと言っていじめられていたんですよ。そういう弱い内閣で、私は今の内閣を見ていてうらやましいのは大臣があちこち飛行機に乗って出かけていくじゃない。私は旅が大好きだからさ、文部大臣になれればあちこち行けるんじゃあないかと思っていたんだね。それで文部大臣になって直後に、イギリスのサリーという大学から名誉博士をやるから来いと言われて、それで参議院の外国出張を議論する議員たちの会があってそこに行ったんです。大臣は関係するほとんどの会議などに全部出席しないといけない。それから答弁も大臣が必ずしなければいけないというのです。副大臣がいないからね。当時は副大臣というのはなくて政務次官でしたね。でも答弁は政務次官じゃだめだと。今はみんな副大臣に話させているよね。それでサリー大学と話して、議会が休みの土曜日に名誉教授をもらうことになってので行かせてくれと頼んだのです。それでも名誉教授をもらうためだけでは大臣がイギリスに行く理由にならんというので困っていたら、イギリスの方が心配して、その当時のイギリスの科学技術大臣がたまたま有名なデパートの社長かなんかだったんだよ。それで土曜日は自分たち休みだけれども来るなら土曜日に1時間一緒に話そうと言ってくれたのです。そうしたら、イギリスの科学技術大臣と話すんだったら出張してもいいよ、となったんです。それで金曜日の夜遅くに夜行で行って、土曜日の朝についてすぐに有名な大臣に会いました。その当時はとくに理化学研究所がイギリスとよく協力していたから、その協力体制をより良くするにはどうしたらいいかと問うと、逆にイギリスの方からもいろいろ協力したいんだみたいなことも言ってくれて、それで公の理由が付いたんです。そうして会議を午前中にして、午後に名誉博士の授与式に出て、翌日に帰ってきました。

第84代 小渕恵三内閣、有馬先生は当時文部大臣(最後列右から4番目)


有馬 ともかく弱体内閣がスローガンとして掲げたのが公務員縮小だよ。ようするに小さな行政というスローガンで。それでその時の総務庁長官が一緒に話をしようというので夕飯を一緒に食べました。そのときのテーマは公務員の削減でした。その大臣は、一番良い方法は国立大学を全部法人化すると言うのです。国立大学を全部法人化すれば、公務員の数がずいぶん減るというのです。冗談じゃないと私は反対しました。でもそれが内閣のミッションだったからしょうがなくて、何年でやるんだと聞きました。私は20年くれと言ったんだよ。すくなくとも10年。各大学の持っている考え方を十分に聞いて、その上で最も良い方法を考えるからすくなくとも10年、よければ20年くれと言ったら、その時の総務庁長官の太田さんが「政治家の年限は3年である」と。それで議論してね。それで仕方がないから、国立大学を法人化するときのやり方を良く検討しましょうと言って会談を終えたのです。

 それで文部省に持って帰って国立大学のあり方という委員会を作ってもらって、その委員会で議論して3ヶ月で結論出した訳よ。私自身も世界の国立大学はどうなっているかとか、アメリカの州立大学はどうだとか、それからヨーロッパはどうなっているのかとかを調べて、外国人の友達にも聞いてみた。学長をやっている親友たちに聞いたら、逆に「法人化をなんでしてないの?」と言うわけですよ。とくにドイツ人がね。それでオーストラリアのメルボルン大学に行ったら、「州立はもちろん法人ですよ」と。そして今度はキャンベラにあるオーストラリア唯一の国立大学(オーストラリア国立大学, ANU)に聞いたら、「もちろん法人化だよ」って。それで何が良いんだって聞いたら「政府の直接の意向に対して大学としての自主的な判断ができますよ」って言うんだよ。だから当時の政治がどっちを向こうと大学が考える教育、研究、ガバナンスの方法を自分たちで考えてやれるんだと。それでね、日本の国立大学では多くは持てないんだけど、ヨーロッパの国立大学とかはちゃんと自分の財政基盤を持っているし、同窓会組織なんかも非常に強くしている。それからともかく政府がどう動いても自分たちの道を歩むと。国からサポートももちろんもらうけれどもね。

澤田 今の先生の状況は当然あると思うんですけど、要するにいわゆる競争的資金というのが、今の国立大学の大きな財源の一つになっています。

有馬 それを今から言おうとしていたんだよ。要するに法人化すれば自主性を持ちうるかと。私が東大の総長になったときに、もともといた事務局長がまだ任期があったんで、前の総長から引き受けて一緒にいろいろやりました。ところがいよいよその人が他に転勤しなければならないということになったので、文部省に関わる人で教育に関心のある人がどれくらいいるか調べてみました。そうすると当時の大阪大学に良い人材がいて、その人をくれと言ったのね。そうしたら、「非常に良い人材であるけどダメです。」というわけ。要するに文部省で決めるから待ってくれと。それで「せっかくいい人を探してきたのに。」と言ったら、「実はあの人は生涯学習局の局長にしようと思っていたところだからダメだ。」とこういわけだったんですね。結局「うるさい総長だなあ」とか言いながらも、非常に良い人材を送ってくれてね。その後は、その二人の事務局長がものすごく手伝ってくれて、それで大学の予算として科研費の予算総額を大いにあげるとか、施設設備の経費をあげることにすごく協力してくれて、それで以降はすべてがずっと伸びるわけだよ。そいうことがあって、政府にもお世話になって、特に文部省や科学技術庁で「科研費が少ないから上げろ」って言う運動をして、それが私が総長を辞めて理化学研究所の理事長になった直後のことで、その頃政府も動いて科学技術基本法を作り科学技術振興の非常に良い計画を立ててくれました。
 1995年にこの法律ができて、96年に科学技術基本計画が5カ年ごとに続くことになって、老朽化していた建物が改修できたんです。京都大学も良くなった。名古屋大学も良くなった。


編集(インタビュー後に先生のご発言に区切りを入れるために補足追記) 文部大臣就任後に実施された大学法人化とは?

有馬 ぼくが大臣をすることになり、その法人化問題をやらされることになった。しかしその法人化というのが良い面もあるということを外国から教わって、それで私は決断したわけです。1999年の9月だね。それで国立大学協会に対して法人化することを決めましたって告げたんです。それはもうすごい動揺でしたよ。その前に今言った国立大学をどうするかという文部大臣の個人的な諮問委員で、学術会議の人も来ていて、その話もしていたから、国立大学の人も覚悟はしていたんだよ。だけど最終決定にはショックを受けて、そこで問題が起こるんだよ。大臣として決断したことを言っておくと、その少し前には自民党も野党も「国立大学は全部私学にしろ」と言っていたんです。冗談言うなと私は反対しました。日本ほど私学が多い国はないと主張したのです。すでに、日本は60~70%を私学に頼っているんだと。こんな馬鹿な国はないと。アメリカはものすごく奨学金が出ているし、仮にそういう資金があるんだったら話は別だけれども、資金もないし何もないのにみんな私学になったら大変だと。ヨーロッパなんかほとんど公立か州立だと。それで自民党も私学化はやめておこうとなって、その自民党でじゃあどういうふうに国立を法人化するのかとなって2012年に委員会をつくった。委員長が麻生太郎さんでした。

 なんで麻生さんたちと親しくなっていたかというと、今日の読売新聞でハイパーカミオカンデをどうするかという話が書いてあったけど、昨日も東大の五神真総長に会ってハイパーカミオカンデやろうよって言ってきました。そもそも私が東大総長になる直前の1987年、私が理学部長の時に部屋に飛び込んで来た人がいて、それが小柴昌俊さんでした。小柴さんが凄いことを発見したぞ、と。要するにニュートリノが多くなったと。なんでそれが分かったかというと、実は南米のチリからメールが来た。そのメールによると超新星が爆発したと。すぐに調べたら確かにニュートリノの数が増えていたんだという。それで「小柴さん、これはノーベル賞だ!」と喜んだんです。これが1987年の2月です。その後私は副学長(当時の名称は特別補佐)になって、そして1989年に東大総長になった。まずスーパーカミオカンデをつくりたいと考えました。しかし予算が100億円要る。それで自民党で麻生さんが頑張っていると聞いて、麻生さんのところに相談に行ったんです。麻生さんに100億くれと言って、それでともかくやれることになったんです。

スーパーカミオカンデ内部
Photo: 東京大学宇宙線研究所 神岡宇宙素粒子研究施設



有馬 麻生さんになんて言って納得させたのかというと、「小柴昌俊さんは必ずノーベル賞をもらう、スーパーカミオカンデをやれば合わせて3人のノーベル賞が出る」と。それを言ったのが1989年です。それで麻生さんがそれならやろうとなったのです。そのことを麻生さんが覚えていて、梶田さんがノーベル賞をもらったときにすごく喜んで手紙をくれたんです。
 話を2003年に戻します。先ほど述べた国立大学法人化に関する委員会で国立大学を法人化するのは大いに良い。ただし絶対、教育費用を減らすなと。運営費交付金を減らすなと結論に書きました。それで私は大臣辞めた後だったけど、2003年になって遠山大臣の時に法人化の法律がでるわけだよ。その時は、私は参議院側で教育費を減らしたら絶対いけないよという話を遠山大臣に話したりしていたんです。野党がけっこう熱心に協力してくれて、私も参議院の教育委員会に属していたから、そのメンバーみんなが私学も含めて国公立私立全て含めて絶対に高等教育費を減らすなと、そういうことをきちっと附帯条件を付けてその条件のもとで法律を通しました。

編集 国立大学の法人化後、現状はどうなったのですか?

有馬 今になって失敗したと思うことは、法人化の後、運営交付金が減らされることを予見できなかったことです。これは昨日も言ったんだけど、あちらこちらで国立大学の先生にこういう附帯決議を衆議院で10項目ぐらい、参議院が7項目ぐらい付けているんだよ。絶対に教育費を減らすなと。国公立私立含めて教育費を増やせと書いてあるんだぞと。それを何で減らしてしまったんだと、何で文句を言わないんだと訴えているのです。それで2003年に法律ができて2004年に法人化しました。そしたら驚いたのは、ばたばたっと運営交付金を毎年1%ずつ減らしてしまった。たちまちのうちに10%, 11%減ってしまった。その間も私は教育費を増やせと言い歩きましたよ。つい今週も東海村に行って東海の原子力研究所の連中に講演したんだけど、教育費が減らされてしまったから今日本の論文数は減っているし引用回数も悪くなっているという話をしたんです。大学院も博士まで行く人がどんどん減っている。なぜかというと、国立は運営費交付金から人件費が出ている。国立大学には中高年齢の人が大勢いるからその首を切るわけにいかなくて、結局若手を助教にせずに契約雇用でやることになったんです。契約雇用を導入したのは私もその一人なんだけど、契約雇用というのは武者修行として非常に良いから同じ大学で契約雇用をするなよと、ようするに違う大学で修行しろと。そういう意味でポスドクをきちっとしてから助教や准教授になっていく。そういうキャリアアップの経緯を辿るのはヨーロッパやアメリカでは常識になっていますからね。日本ではそれがなかったからそれをきちっとやれと、そのためには科研費にせよ国がもっと積極的にポスドクに金を出せと。そして奨学金を増やせと事あるごとに訴えてきました。そんなことを言って効果が出てきたと思ったのは、1998年頃で、2005年ぐらいまでは論文数も増えているんだよ。それが運営費交付金の削減で若手が減ったことや、特に契約雇用が増えたことで若者ががっかりして、東大のみならず他の大学でも若者が大学に残らなくなってきている。この2014年からは、運営費交付金自体は減っていないんだよ。ところがどうしたのかというと、改革を積極的にやる大学を選んで、機能強化費という形で運営交付金を少し増やして分配する、あるいは減らさない。しかしそれに選ばれない大学は減らされています。東大なんかはなんとかそうやって来ているわけだよ。旧帝大はなんとかそうやってしのいでいる。だけど、静岡大学とか山梨大学とか地方の大学はやっぱり運営交付金が下がっている。大きな大学とか特定の方針にのっかった大学には少々交付金が増加している。その方針にのっかって何年かは喜んでられるけど、改革計画が終わるとなくなっちゃうんだよ。新しいアイディアでがんばっても3,4年で資金がなくなったらどうするんだと。実に嘆かわしい。


澤田 ちょっと水をさします。あとお伺いするべき大きな項目が3つ残っています。それと先生の話はロジカルにどんどん繋がっていきますから質問はしづらいと思いますが、どんどんアクティブに質問していきましょうね。それでは次のテーマのJCO事故の話をお願いします。

有馬 まだ言わないといけないことが残っています。ちなみにその国立大学には私は不満があって、科学技術教育基本法を出せと言ったんです。科学技術基本法は科学技術だけに関する法律であって、それに基づいて科学技術基本計画が5カ年ごとにあります。お金がトータルで17兆とか24兆とか総額が決まって予算化されていくから非常に効果的なんです。ところが教育基本法というのは何もお金のことが書かれていないのです。国が面倒を見ることぐらいしか書いてないのです。だから第二次科学技術・教育計画の「教育」のところでもっと科学技術に限らず国が教育の面倒を見るべきであって、予算化をきちっと義務化した法律を作れと、こう言っているんです。それが今の高等教育の課題です。

(第2回 2/2に続く)


対談日:2018/8/24
対談場所:武蔵学園大学
インタビュアー:和田 隆宏、澤田 哲生、古徳 純一、真鍋 勇一郎、坂東 昌子
音声書き起こし:澤田 哲生、角山 雄一

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