放射線生体影響に関する物理学、疫学、生物学の認識文化の比較分析

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研究者・専門家へのインタビュー(和田先生)

和田昭允先生へのインタビュー 後編 1/5

最初の仕事、最初の論文

Wada(以下「w」):これが私の、最初の恩師との連名で作られた論文、シングルネーム(単名)の論文がここにありますね。

Bando(以下「b」):これはドウティとの論文ですね。ここで、ドゥーティと一緒に?

w:えぇ、もう、このときはアメリカに行ってましたから。

b:え? 23歳で書かれたのですか? すごいですねぇ、23というと、大学院マスター1年!しかも、これは連名ですけど、これシングルネームで!

w:これを23歳で書いて、これ、25歳かな?ジャーナルオブケミカルフィジックですけれどもすけども、インターナショナルなジャーナルですよね。

b:結構早熟だったんですね。当時のほうが、今よりは論文書くのは早かったのかな? まあ、でも、最近は、今の人も、はやく論文書かないと奨学金が当たりませんからね。でも、M1とは!素粒子なんか、とっても論文書けません!だいたい、M2位で初めて上の人と一緒に論文書いて、見習って、ドクターの間に1人前になりますね。もちろん、早熟な人もいますけど~。で、その後物理の中に入っていかれて、色々、物理との違いを実感されることになる・・・

w:物理はね、東大の物理はほんと分野横断的な幅広い好奇心を持っておられたなあ・・・

b:はい、確か、林忠四郎先生も、宇宙の初めの話をやるきっかけは東大の大学院マスターの時、ガモフの論文を読まれたとか。林先生と南部陽一郎先生は同級生でどちらも素粒子論の専攻だったのですが、南部先生は、例のイジングモデルを、対称性を使ってスマートに説く方法を見つけられたのが最初の仕事ですね。林先生は、当時の戦後の貧しい時代・・住宅事情も悪い時代でしたから・・・「京都に実家があるのだから湯川さんのところに行って相談したら」といわれて京大に行かれたとか。その時、湯川先生は、地球で起こる核融合と宇宙の核融合を結びつけるべきだ、と考えておられて、宇宙をやるように勧められたとか・・・。

w:そうですか。

b:本気で始められたのは、湯川、武谷、早川の3先生が雑談なさっていて、もちろん雑談といっても基礎物理学研究所の将来計画と結びつくテーマだったのです。その頃共同利用研究所としての基研の創設期で、長期研究会の構想を練っておられたようで・・・。

w:なるほど、なるほど。

b:どんなテーマで何をやるかという話になったそうです。そしたら、湯川先生が「お星さまの話はどうかね」っていわれた。武谷先生も早川先生もこれには大変興味を持っておいででした。早川先生は宇宙線のご専門だし、武谷先生も原子核と星の形成THO(とてもホントと思えないとみんな言っていたそうですが)を提唱しておられました。で、それは重要だ、天と地を結びつけないといけない、と話が盛り上がって、長期研究会が始まったそうです。そこに、若い林先生が参加され、本気でこの分野に取り組まれることになったそうです。尤も最初は論文を書いても誰も読んでくれないし関心も持ってくれないので、かなり消耗されたのでしょうが。どこでも、新しい挑戦には関心を持つ人が少ないのは当たり前ですが・・。でも考えてみると湯川先生をはじめそれを応援する数少ないけど、少しでもいい、興味を持ってくれる人がいれば励まされて続けられるのではないでしょうか。

w:今の一連の話をうかがってねぇ、思い出すのは、山口嘉夫ね、みんなYY(ワイワイ)さんと呼んでいましたね。いつも議論を吹っかけて面白かったですよ。僕はわりにねぇ、彼に信用されていたんです。

b:あ~、はぁ、あの口の悪いYYさんにねえ・・。私は、よう、「女に言うのは何だが、ちょっとフンドシを締めてかかれ」なんで言われてました。ハッハッハ

w:あの人をご存じのようですね。

b:はい、口が悪いですよぉ~。でも、なんでも興味を持って、よくご存じだったので、いい加減なことを言うと、すぐやっつけられました。


余裕と自由度があること

w:口は悪いし、敵は多いし、いや~物理教室はねほんとに、よくしてくれましたよ。当時、講座増があって…

b:やっぱりね、ま、ちょっと余裕があるってことが大切だということがわかります。先生もそうだし、林先生もそうですし、やっぱり、そういう、何というか自由度といいますか、それがなかったら、だめですねぇ。

w:そうです、そうです、だから、当時、講座増があって、余裕があるからちょっと変わった人も採用で来て、バラエティが広がったんですよ。面白い人のうちには、小柴さんもいましたねえ。

b:え?

w:フッフッフッ。

b:え? 小柴先生もそれでポストを得られたんですか?

w:そう、自分でも分かってるんですよ、フッフッフッ。

b:ハッハッハ、いや~、面白いですねぇ、あの、小柴先生が、あの当時、廃坑を利用して、陽子崩壊を調べるのだ、といわれたのには度肝を抜かれました。その説得のために、全国行脚してはりましたけど。

w:えぇ、そうです。

b:そのとき、えらいことを考える人がいるのだな~と思ってました。

w:あ~、大したもんですねぇ、えらいですよ、あれは、ほんとに小柴さんえらいと思います。

b:あの先生は、小柴さんもえらいけど、弟子がえらいですねぇ。

w:弟子に優秀なのいっぱいいた。みんな死んじゃった折戸・戸塚・・・優秀なのいっぱいいたんですよ、荒船君もそうですかねぇ。

b:荒船さんは元気に生きておられますね!理論ですから、ちょっと違ったのかな。荒船さんは、すごく先も読め、ものを見事に整理される方ですから、実験へのアドバイスはとても貴重だったと思います。彼は先が見えていたのではないですか。

w:小柴研は優秀・・・。

b:梶田さんもすごい面白い人でした。「ちがった種類のニュートリノが、お互いに大きく混合しているなんて、理論のほうは考えもしなかった。だってクォークの世界では、ほんのちょっぴりしか混合していないので、そんなすごいことが起こっているはずはない」と思い込んでいました。ある時、梶田さんに、「なんでそんな混合が大きそうだと思えたのですか」ときいたら、「だってその方が面白いじゃないですか。常識破りで・・・」といわれました。理論は頭が固かったんですね。思い込んでましたから。

w:梶田さんからある会で、空間からきた重力波の話を聞きました。ほんの微小な量の観測なんです。もう、僕、聞いてたまげちゃった!めったに発生しない( 1年で数回程度?)の重力波を、レーザー干渉計装置でとらえようとすると、例えば、重力波の振幅として、10-21以下の小さな時空の歪みを検出しようとすると、地球と太陽との距離、およそ1011mのオーダーに対して、10-10mの変化の量を観測するってことなんですね。22桁の違いですよ! あれ、ほんと驚いたですねぇ。

b:ええ、重力波を見つける話も面白いですよ。これ、佐藤文隆さんに聞いたのですが、共同研究者が集まって毎日分析しているわけではないのです。だって、いつでてくるかわからないわけだから、ジーっと待っているのも大変です。それで、世界中に散らばっている1,000人程度の共同研究者たちに重力波の信号を毎日送るそうです。異常が出たら即刻報告するのが義務です。それで、シミュレーションで重力波が出たらどんなデータがでるか計算はできていますから、時々、わざとフェイク情報をひそかに混ぜて送るのだそうです。すぐ「でた」と報告した研究者は目利きのいい研究者、送らなかったら、目利きが悪いか、怠けていたかだ、というわけです。怠けていると、ばれてしまう!ですからみんな気が抜けなかったらしいです。本物が見つかった時も、「ほんと?フェイク情報じゃないだろうな」って相当チェックしたらしいですよ。それくらいの精度での情報ですから・・・。

w:いゃ、またね、梶田さん、話が上手いんですよね。

b:ほんとにそうです。ニュートリノ振動を様々な実験から有無を言わさない形でデータを積み上げて発表し、ニュートリノ振動の存在を科学者が確認したのは、岐阜県高山市で開かれた国際会議(1998年)でしたが、その時のプレゼンなどほれぼれします。もちろん内容そのものの迫力でもありますが。あのとき、コンサートではよくやるスタンディングオベーションが起こって、物理の学会でこんな光景は見たのは、後でも先でもありません。
でも、小柴先生もそういうことでポストを得られたというのが、ちょっとその~、何ていうのかな、変わりもんをとれたというのか・・・・。

w:ハッハッハ

b:余裕があると、いままでその専門で突っ走っていた人だけではなく、変わり者も採用しようという機運ができるのがいいですね。でも、いくら、余裕ができても、変わり者なんか取らないところもありますね。時には、自分の身内ばっかり増やす・・・。

w:やっぱり~、余裕が必要ですね。少しね。あんまりいっぱいいても困るんだけれども、少なくとも2%位はね、ちょっと変なのがいたほうが僕はいいだろうって言っているんですけれども。

b:変といってもいろいろあると思いますが。変というより、挑戦する人材というか・・・

w:そうです、そうですね。

b:別のアプローチを選択する自由ですかね。それにしても、よく東大で、生物物理学が新しく創設出来たと思っているんです。

w:いや、これが大変だったんですよ。生物学教室は大反対ですからね。いや、ねぇ、これ、もう、方々で言っているからお聞きになったかも知れないけど、僕が、え~っと、あれはね、1961年位かな、東大に行きだしたのは、お茶の水に。アメリカから帰ってきて61年位・・・

b:62年…

w:え~っと、ちょっと重なってるんです、お茶大とね。

b:あ~、そうですか。

w:兼任してたときがあるんで、だから、61, 2年ですけどね、そんなときに、その、生物物理セミナーってのを始めたんですよ。物理教室でね、そうすると、学部の色んな所から、若い連中が、1週間にいっぺん、夕食の後かなんかにやってきましたけどね。

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